ポエム(終わりの始まり)

丁度さっき3A最後のレポートを書き終えた。この学科、期末が3つしかないのに、春休みのレポートがなんと6個もあり、最後の締め切りが3/14となっていた。まだ締め切りまでは日があり、追加しようかどうか迷っている内容もあるが、めんどくさいので、提出日前日にもう一回読み直して特に問題が無ければこのまま提出してしまうつもりである。そこで、3Aに書いたレポートの枚数の合計を計算してみると、表紙を除いてA4で合計213枚である。ちなみに僕の誕生日は2月13日なので、謎の因縁を感じた。PCで書いたのがこの枚数なので、手書きで済ませた小さいものを含めればもう数枚増えるが、まぁ大体この枚数だろう。150枚ぐらいかなーと思ってたので思ったより多い。

12月までがとんでもなく忙しくて(個人比)、開放感に満ち満ちていたので年末の1年振り返りーみたいなのは、面倒くさいし年度末に回そうと思い、書かなかった。(一応書く予定はある。)

誕生日に絡めていえば、2月13日に21歳になった。20歳では合法的に酒が飲めるということもあるし、まぁ一応世間的に節目でもあり、20歳になった!という実感があったが、21歳は21歳になってしまった...、以外の感想を持てなかった。多分この先xx歳になってもxx歳になってしまった...以外の感想を持たないだろうと思う。(余談になるが、調べたところ、21歳になると定期運送用操縦士、という資格を取ることができて、これを取ると旅客機の機長の資格を得ることができるらしい。さらに脱線するが、なんかの講義で、車を作る人が車の免許を持っておらず、操縦できないのはおかしいってみんな思うだろうけど、航空機を設計する人が航空機操縦できないのをおかしい、って思ってる人はあんまりいないよね~みたいな話を教授がしているのを思い出した。実際、何かハードを作ってる人で、それを実際に動かすことが出来ないというのは何かおかしな話のような気もする。自分で作ったもののできや、設計上の違いを自分で体感出来ないので作ってる最中にこれ、意図した通りに動かないのでは?とならないのかな。さらにさらに脱線するが、この学科では飛行機や、人工衛星、といった名称よりも、航空機、宇宙機、といった名称の方をよく聞く。教授も、翼を"つばさ"と呼ぶのは素人で、専門家は基本的に"よく"と呼ぶ、素人と専門家を区別するものの一つに物の名前の呼び方が挙げられる、みたいな話をしていた。)

芋づる式に話を無理やりつなげていくと、これを書いている今日は3月10日、一部の国立大学の合格発表日である。正直言えば3年前自分が何をしていたかはあんまりよく覚えていない。どちらかというとTwitterのTL上に受かった受験生たちを見ながら、そう言えば自分にもそんな時期があったっけ、という具合である。

 

前期教養の自分、何してたっけ。

 

僕は人より思い出を覚えていない気がする。今年の夏、本当に久しぶりに(7,8年ぶりとか?)小学生の時の同級生とあったが彼らほど小学校の時のことを全く覚えておらず、あまり話が噛み合わなかった。なんなら数日後にはサークルの追いコンがあり、多分このサークルに関わるのはこれで最後になるだろうな、という予感がしているのだが、このサークルも1年前までは割と個人的には精力的に活動していたのが、何をしていたとか、山に登るのは何が楽しかった、とかも全然思い出せない。もっと前の、中高生も、小学生の時も。大学生になって思うのは、中高生や小学生の自分の時は金銭的にも時間的にもだがいろいろな制限があり、あの時の自分の世界は学校とそれと塾とで完全に閉じていた。世界がそれで全部だったのだ。だがあの時の自分を"客観的に"見れるようになった今となっても、抜け落ちてしまった思い出も多く、自分がそこにいた、という思い出はほとんど出てこず、ただ残っているのは自分がそこにいた、という事実である。

 

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あの時自分の身に染みた感傷的な何かも、今となってはそういえばそんなこともあったっけまぁいっか、程度にしかならない、刹那的だなぁとなる。思わず浸ってしまうような感傷的な思い出が出てこないのは別に大学の時のものも変わらない。喉元過ぎれば熱さを忘れるというのは結構的を射た言葉だと思う。

あれだけしんどい思いをした3Sも今となっては、過去のことである。正直3年生は本当にすごい忙しかった分様々なことを身に着けなければならなかったので、今までの忙しさは何だったんだ...今まで実質何もしてなくね...?と感じたほどであった。ずっと続くと思っていた中高6年間は今はもう思い出の彼方にあり、3年前に始まった大学生活は今はもう終ろうとしている。院に入れるかはわからないが、会社に入って就職してしまえば今この時もことも、そういえばそんなこともあったっけ、っとなってしまうのだろう。その時しんどくても経って見ればけろりと忘れてしまえるのは長期的に見れば割と便利なのかもしれいが、一方でかなり寂しくもある。(自分が過ごした時間がほんの些細なものになってしまうので)

 

3Sにやっていたことの引継ぎをまだ書いていないので(なんで???)、それも書いてけりをつけなければいけない。色々なことを終わらせていく3月になりそうである。一方で4月からは4年生になる。ついに大学生活にもけりをつける時が来ている。知り合いの中にはおそらく来年からもう社会人として会社勤め、みたいな人がいるのが本当に恐ろしい。というわけで終わりの始まりを感じた3月10日であった。下の感じの曲が頭の中で流れていた(セットで続けて聞いてね)。終わりの始まり、という感じがする。この曲はUNDERTALEのラスボス戦の時に流れる曲であり、ゲーム上ではラスボスに挑む前に、長かった旅もこれでおしまい、ラスボス戦になると物語が終わってしまうから、とこれまでに物語を進める上で出会った人全員に再び会えるようになって(というか会うことを推奨され)、NPCが全員特殊セリフで話してくれるのだ。人生にも節目の時にこういう機能は欲しい。お別れはきちんと言いたいし、もう人生で二度と会うことはないだろう、という覚悟はつけたいので

 

最後に。

話が脱線しまくって読みづらい文章でごめんなさい。

 

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