2023年後半記
そろそろこのブログの名前を半年記か年記に変えた方が良いかもしれない
8月
仕事だとチームに唯一いたスタッフエンジニアが会社を辞めたのが一番大きなニュースだった。前の会社の上司に誘われて別の会社に移るらしい。一緒のチームに配属されてすぐの時にプロダクトの問題点をまとめた文書を出していて、会社に入ったのがすぐだったのもあって個人的には何が何だかさっぱり、だったのだが、今更読み返してみると的を射た指摘をかなりしていたのが印象的だった。チームの中でも結構親しみやすい人だったので辞めていってしまったのが本当に残念でならない。まぁこれに関しては自分に出来ることなど全くなかったのでどうしようもない。
私生活では家族と蔵王旅行に、友人と江戸川花火大会と岐阜旅行にとかなり出かけていた。岐阜で泊まった宿のプランが鮎尽くしプランとかいう名前で晩御飯でもう当分鮎は食べなくていい、というぐらい鮎を食べた。そのプランにした理由は友人曰く"鮎ゲージの消化"、らしいが仕方無くやっているんだ、という表現がらしい。素直に鮎が食べたくなったと言えば良いのに。ついでに高山まで足を延ばして聖地巡礼2回目が出来たのも良かった。めちゃめちゃ外国人観光客がいてこんな交通の便の悪いところまでわざわざ来る物好きもいるものだと驚いた。
9月
スタッフエンジニアが辞めた穴を埋めるのに慣れた月だった。会社で開催されていた卓球トーナメントに参加し、8強まで進んだ。どうせ一度きりだし、とお金を出し渋って会社の備品のラケットを使って参加していたが、ラバーがかなりカスだったので次回はちゃんとしたものを買って参加しようと思う。何事も斜に構えて予防線を張るような振る舞いをするのはよろしくない。
学科同期とベトナムに行った。VietjetというベトナムのLCCの、リクライニングが無くめちゃめちゃ硬い椅子の深夜便で往復したが、案外何とかなってまだこういう旅行が出来るんだな、となんとなく感動していた。いつまで出来るかは知らん。初東南アジアで、来たすぐの日にはそのバイクの交通量に圧倒されて信号もない中いつ道路を渡ればよいのか図りかねていたが、最終日には慣れて平然と道路を渡れるようになり、人間の環境への慣れの早さを感じていた。まぁああいうのは車と同じでバイク側も別に人間を轢きたいわけではなく、多過ぎてスピードを出せずにいるので、こっちがバイクを無視してわたり始めれば向こうが勝手に避けてくれる仕様になっている。人、バイクの多さ、と若年層の多さ、街の汚さとタクシーの異常な安さが印象的だった。
10月
8月のスタッフエンジニアの退職に続いて今度はチームのマネージャーが辞めた。自分とマネージャーの相性が悪かったのもあるが、ここまでゆっくり築いてきたマネージャーとの信頼関係をまた別の人間と一から作り直さなければならないのが面倒くさいなぁと思った。まぁマネージャーが辞めたところでチームの社内での役割が変わらず、マネージャーがどちらかというと放任気味のマネジメントをしていたのもあり、日々の仕事にはさほど影響が無かった。あと追加でサボり気味だったチームのエンジニアが1か月の無給休暇を取り始めた。(まぁこっちに関してはこいつなんかサボってんなと思っていた人間が休みをとっただけなのでむしろプラスという説が無くはない) このチーム、何かがおかしい。
10月も旅行をした。完全に旅行モンスターになっているが旅行めっちゃ楽しいので問題は無い。主に山陰を回ってきたが、山陰はあんまり見どころが無かった。登れる灯台スタンプラリーを着々と消化できているのは良かったポイント。今のところ出雲日御碕灯台が一番好きです。デカいので。
あと小さいことではあるが、自炊で数品料理を作っていたのを、ふるさと納税で冷凍で大量に魚か肉を買って、夕飯時に煮る鍋に変えた。週末にやらなければならないことが野菜を切るだけに変わったので楽になっていい。あとやっぱり加熱したものをすぐに食べるので、心なしかお腹を壊す回数が減った気がする。
11月
新しいマネージャーが来たが、前と違ってむしろ積極的にこちらに介入してくるマイクロマネジメント型だったので、どう付き合っていくか面倒だな...と思ったのを覚えている。
会社への申請が通ったので、英会話を始めた。少しはマシになると良いが...と思いながらやっている。そのうち TOEFL か IELTS でも受けてスコアを確認してみたい。
泊まりではないが千葉県の灯台巡りドライブをした。いつも他人に運転させていて申し訳ない。灯台の光り始めは緑色に見える、というどうでもいい雑学を得た。登れる灯台スタンプラリー進捗6/16。
12月
新卒で既にチームを3回変えた同期がいたり、別のチームのマネージャーと話していて、またレイオフがあっても全然驚かないけどね~みたいな発言があったりしていて震えている。そう、チームではなくそもそもこの会社がおかしいのである。こんな会社でも羽振り良くやっていけるのだからビジネスモデルというのは本当に、本当に偉大である。あと年末の会社にマジで人間がいなさ過ぎて仕事のモチベが全く上がらなかった。
あと年末になってから何故か急に家にたくさんの人が来た。やっぱり人間と直で会うのはメンタルに良い。2023年に会ってくださった皆さんには感謝しています。引き続き2024年もよろしくお願いいたします。
ホームオートメーションに手を出す気になってきたので SESAME 5 と Nature Remo mini 2 を購入した。今のところ使用感はかなり良い。
年末に両親が風邪を引いたっぽくて、感染を防ぐために今自分の部屋に閉じこもって震えながらこのブログを書いています。年末にこんなことになるとは...。
2023年良かったこと
- ストレートに修士を卒業出来た。
- 卒業旅行でヨーロッパ旅行が出来た。寝台列車に乗れたのもかなり良かったポイントが高い。
- 振り返ってみると今の会社に就職したのはそこそこ良かった選択だと思う。大学までにやっていたことと範囲は近いがスキルや経験の幅が増えた。が差別化が出来ていないので身の振りを引き続き考える必要がある。
- 英語に触れあう時間が増えた。
- 試用期間をつつがなく終えた。
- 一人暮らしを始めて問題なく続けられている。
- いろいろなところに旅行に行った。
2023年反省点
- 修論を本当に雑に終わらせすぎた。今でも少し後悔している。
- 本を読んだ数が本当に減った。10冊も読んでないんじゃないだろうか...。
- 時間の制約が緩くなって時間にルーズになった。もっと有意義な使い方を出来るようになる必要がある。
- それに伴って明らかにスマホをいじりすぎている。2024年はもっと減らしたい。
- 仕事終わりにそのまま夜行で旅行に行くのを何回かやったが、仕事と旅行の切り替えがあまり上手くできず、旅行にあんまり気持ちが入らないことが何回かあったのでこれは出来るなら避けた方が良い。
- (旅行の数に伴って当然出費が増えた。)
- 体重が増えた。運動せねば...。
2024年も引き続き頑張っていきます。
6, 7 月記
何もしなければ、これが死ぬまで続く。人生が長くても短くても。
――いやいや、そうならない人生を考えるべきだ。そうならない人生というのは......。
――どこかの宇宙都市か惑星上に住み家を定めて、そこの人々と交流する?
――故郷のどの都市にも馴染めなかったのに、そんなことができる?
――できたとして、落ち着いて定住できる?
――つまり自分は、どこにもどんな形にでも、満足な暮らしを見出せないんじゃないんか?
「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ3」より
生活
一人暮らしには慣れて完全に持続可能になった。どちらかというと現状に閉塞感を感じているのが不味い。これがすごく楽しいので余暇の時間を積極的にこれに費やしたいと言ったものが無い。多分余暇の中で時間を一番割いているのはアークナイツだが、それにも時間を使い過ぎないように早くステージをクリアしなきゃな、みたいな考え方をするようになってしまった。パワーディフェンス自体は楽しいのだが...。
独り暮らしを始めて出費を全部自分で管理するようになったことで継続的にかかるコストが気になる様になった。4月の段階では自己紹介で色々な人に趣味を探している、というような話をしていた記憶があるが、恐らく今では多分人から趣味を勧められてもランニングコストが気になって手を出す気にならないと思う。というわけで就職前に考えていた中長期的な目標を立てるという目標は未だ達成されていない。上司とはたまにキャリアの話になり、やりたいことはあるにはあるがそれがどうやったら達成できるのか全くわからないし、達成のために失うものと得るものの勘定が自分の中でもまだついていないしそもそも勘定出来るのかも怪しい。どれが宝物、どれが好きなこと、失くしてから気づくでしょう。
とりあえず一人暮らしを始めてから買って良かった物リストでも書こうと思う。
- 大きめの水切りラック
- 水切りラックが小さいと一人食器積み上げタワーバトルが始まってしまうが大きいと余裕を持って置けて嬉しい。自炊時の懸案事項が一つ解消された。
- 取っ手が取れるフライパン
- シンクがあまり大きく無いので取っ手が取れると洗いやすくて便利。T-fal は焦げ付きにくいのもあって実家から余ってるのを持ってきた。取っ手があるとシンク内での取り回しに困る。
- マグネット付き電源タップ
- 机の脚に張り付けて配線を一部隠すことが出来る。雑然としていた机が少し整理された。
- サーキュレーター
- 家の構造上冷房をつけてから冷えるまで時間がかかったのが解消された。これが無かったら帰宅後に熱中症で死んでいたであろう。
- 電動歯ブラシ
- なんか歯が綺麗になった気がする。自分でガシガシしなくても勝手に磨かれるのが良い。あと歯ブラシがかなり振動で暴れるので歯ブラシ咥えてネットサーフィンして気づいたら30分とかが無くなった。それはそれとしてそろそろ歯医者に行った方が良いのかもしれない。
労働
特に大きな変化は無い。やることはたくさんあるのだが、如何せん自分の能力が低く何をどうすれば良いのかわからないので逆に暇になっているという次第である。なんか最近は国外にいてタイムゾーンがずれている人間と国内にはいるが生活リズムのタイムゾーンがずれている人間がいてヘルプをお願いしにくい。充実しているとは言い難く、満足度は低い。早々にこの状況が変わっていけば良いのだが...。最近かなりヤバいことが起こったのだがそれは8月に起こったのでまた後日。
追記: 8月になって挙動とコードの理解が深まったのもあって最近はマシになっている。色々な人に相談した結果、逃げられるなら逃げた方が良い派と、逆に今積極的に動けばチャンスになる派がいて人の性格に随分依るなぁと感じた。
外出
ここ数年相変わらず特定の高校同期達と関わっていて、社会人になってからそこでの外出が学生の時に比べて格段に増えた気がする。社会人を学生と比べた時の明らかな一つのいい点は土日と平日を明確に区切ることが出来る点だと思う。
浜松
自称謎の地方都市に住んでいる同期を尋ねに行った。ついでにうなぎを食べたり観光したりしていた。学生の時は京都に行って色々な人を尋ねていたがコロナで中断されていたのでコロナぶりに出来て良かったと思う。
横須賀
登れる灯台巡りにハマった & 小旅行がしたい高校同期に誘われて横須賀に行った。この高校同期にはいつも運転させていて申し訳無く思っている。そろそろ免許取った方が良いなと思ってはいるが職場の上の人間が実は免許を持ってないことを知ってまぁいっかとなった。横須賀には一度一人で行ったこともあったが人と行くとまた別の気分転換になるので良い。
花火
そういえばここ数年花火大会に行けてなかったことから花火モチベがあったので隅田川と江戸川に行った。結論から言うと花火はデカくてカラフルで同時に沢山あると嬉しいので隅田川は避けた方が良い。長岡か大曲の花火大会に一度は行ってみたい。
Catalyst 3560CG セットアップ記
折角こういう業界に来たのにネットワークのこと1mmもわからんのよなと思い、家にVLANを引きたくなったのもあってL3スイッチを買って色々試してみていた。基本的には Catalyst 3560CG と WAP150 でググったら出てくる某ブログに従っていれば大丈夫だが、全く知らなかったので個人的に色々と詰まったポイントがあったのでそれを書こうと思う。が、普通にめちゃくちゃ間違ってるかもしれん。
前提
契約しているのは au ひかりで、au ひかりではルーター機能も兼ねるホームゲートウェイをレンタルすることになる。こいつはauひかりを使うための認証の機能も兼ねているので自前のルーターをルーターとして使うことは難しい。(無線を飛ばしたかったら月550円払ってレンタルホームゲートウェイの無線LAN機能を有効化するか、自分で持っている無線ルーターをアクセスポイントとして使うことになる。このHGWが微妙に使い勝手が悪くARPテーブルを見れなかったりする。まぁあと当然 VLAN の設定とかは出来ない。)個人的には家にVLANを組んでみたかったのと、インターネットにセットアップ例がそこそこ転がっていたので中古のL3スイッチを購入した。本当はPoE付きが欲しかったが高かったので断念した。
DNSを先に設定する
よくあるセットアップ例だと ntp.nict.jp
を NTP サーバーとして指定しているが、DNS が設定されていないと名前解決されずに時刻同期が取れないので先にDNSを設定する。大抵はルーターのアドレスを指定すれば良さそう。先に NTP サーバーを指定して後から DNS を設定してもやっぱり同期は取れてくれなかった。何故だろう。
IP アドレスは機器では無くインターフェースに振られる
これも知らなかった
静的ルーティングでは相手を指定する
めちゃくちゃ当たり前なのだが、宛先アドレスに行ける方にルーティングする(?) のが正しいので、ルーターのIPを 192.168.0.1
, ルーテッドポートのIPアドレスを192.168.0.254
とする場合スイッチ側では外に向ける様に
Switch(config)#ip route 0.0.0.0 0.0.0.0 192.168.0.1
とするのが正しい、逆にルーター側では各VLAN へのアドレスを 192.168.0.254
に向く様に設定する。
スリープ復帰からインターネットに繋がるまでが遅い時
デフォルトだとスパニングツリーのループ検知が走っているらしく、これに30秒ぐらいかかる。PC などを直接つないでる場合はその先にループは無いのでこれを無効化すると早くなる。幸いスマートマクロというものがありデフォルトで cisco-desktop
などが定義されていてポートの設定を良い感じにしてくれるっぽいのでこれを macro apply
で適用してあげると良いだろう。
WAP150 の管理 VLAN はネイティブ VLAN と同じものにする
管理VLAN だから適当に1にするか、とかとやったら通信出来なくなって初期化する羽目になった。(何回初期化したかもう覚えていない。)
IPv6 の簡易設定
大体ここに書いてある
IPv6 のアドレスを振りたい場合
スイッチ側でプレフィックスを RA で配布し、IP を端末側で設定する。DNS の情報は RDNSS とかいうやつで配布する。
スイッチ側でプレフィックスを RA で配布し、IP を端末側で設定する。DNS の情報は DHCPv6 で配布する。(ステートレス DHCPv6 って言われてるらしい)
プレフィックスもIPも DNS の情報の配布も DHCPv6 で全部やる。(ステートフル DHCPv6 って言われてるらしい)
がある。個人的には 2 の例が上手く行った。まず ipv6 のルーティングを有効化しておいた。
Switch(config)#ipv6 unicast-routing
次にルーテッドポートにグローバル IPv6 アドレスを割り振った。この時プレフィックスとなる上位 64 bit はルーター側と同じになるようにした。
Switch(config-if)# ipv6 enable Switch(config-if)# ipv6 address 2001:xxxx:yyyy:zzzz::/64 eui-64
DHCPv6 も有効にしておいた。この時 DHCP では DNS の配布だけするので適当に DNS の設定だけした。
Switch(config)#ipv6 dhcp pool <poolname> Switch(config-dhcp)#dns-server <ipv6-address>
この時 <ipv6-address>
はリンクローカルアドレスを設定しない方が良いっぽい。どうやら VLAN の外と中は同一ネットワークでないらしいのでリンクローカルアドレスを使った通信が出来なかった。自分は適当に Cloudflare のパブリック DNS を指定した。
次に IPv6 を有効化したい VLAN に対してプレフィックスの配布と DHCPv6 の設定をした。上位 64bit のプレフィックスのうち上位 48bit はネットワークアドレス, 下位 8bit はサブネットアドレスなので上位 48 bit はルーター、ルーテッドポート側と同じにし、下位 8bit は好きなものにした。
Switch(config-if)#ipv6 enable Switch(config-if)#ipv6 address 2001:xxxx:yyyy:wwww::/64 eui-64
ついでにステートレス DHCP の設定もした。
Switch(config-if)#ipv6 nd other-config-flag Switch(config-if)#ipv6 dhcp server <poolname>
あとは IPv4 と同じ様にスイッチ側とルーター側でそれぞれ静的ルーティングの設定をした。なおルーター側では宛先としてグローバルアドレスでは無くリンクローカルアドレスが求められたのでルーテッドポートに設定されたリンクローカルアドレスを予めメモっておくと良い。自分の場合はこれで IPv6 を用いて通信することが出来た。
Switch(config)#ipv6 route ::/0 <router-global-ipv6-address>
この設定の場合は上にも書いた通りステートレス DHCPv6 を使ったが、多分 ipv6 nd managed-config-flag
を設定すればステートフル DHCPv6 を使った設定も出来るはず...? 試してはいない。
5月 一人暮らし記
一人暮らし
GW の頭に実家を出て一人暮らしを始めた。引っ越しが終わったと言っても色々な引き出しとか調理器具と言った小物などは全く揃っておらず、今から生活できます!と言った状況でも無く、労働をしながら生活を整えていくのは大変に思えたのでGWに引っ越したのはそれなりに正解だったと思っている。というわけで来年以降に住んでいる地方を変えずに一人暮らしを始める方にはGWでの引っ越しをお勧めします。
場所を職場の近くにしたことで、通勤ラッシュに巻き込まれにくく、また通勤が苦にならなくなったのが想定していた以上に良い改善だった。(それまでは1時間20分ぐらいかけて行っていた)それまでは通勤時間に時間が取られすぎていてホワイト環境であるにも関わらず、労働して帰ったらほとんど自分の時間が取れない、というような状況だった。一方で通勤時間が露骨に減ったので本を読む量が減り、ポッドキャストを聞く量も減ったのはなんとかしないといけない。
また周辺環境も。図書館が家のすぐ近くにあって、ホームセンターと夜遅くまで営業しているスーパーがそれなりに近いところにあったのは予想外の良さだった。
一方でマンションで宅配boxもなく、近くに受け取りロッカーみたいなものもないので宅配サービスを気軽に使えなくなったのは生活が変わった点である。まぁ来年からなんか宅配サービスは使いづらくなるらしいのでそれに一足先に慣れた、と考えるのが良いか。
とりあえず一ヵ月ほど経ったので感想を書く。家事が馬鹿ほど面倒...。
食事
自炊している。週末に作り置きをしてそれを一週間で食べる生活をしている。やる前は全く料理したこと無い人間が料理なんか出来るのかと思っていたが、レシピにさえ従っていればそれは大した問題ではないというのがわかった。むしろ問題なのは自炊に伴って発生する大量の洗い物の方で、一人暮らしということもあってシンクが狭く洗うのも面倒、干すのも面倒になっている。後作る前に何を食べるかメニューを考えなければいけないのも面倒。本質でないのに中間工程で洗い物になるざるとかボウルとかいうやつマジで許せない。
調理器具は深型パンが最強。というか深型は普通のフライパンを兼ねるのでむしろこいつしか使ってない。
作り置きを保管するのに最初は百均で買ったタッパーを使っていたがあまりに油汚れというかぬめった感じが落ちないのでなんか油汚れが落ちやすいらしい少し高めのポリメチルペンテン製の物に買い替えた。結果から言うと初めからこっちにしておけばよかった。
普段の浪費などを考慮すると自炊で得ているものはただの料理スキルなので作る品数を減らすためにも宅食を考えている。キッチンのキャパ的に一回調理器具の入れ替えや洗い物を挟むのが必要になった途端に自炊の時間効率が悪くなる気がする。あと案外自分が食べることに気付いた。
掃除
普通の掃除に関してはただ掃除機をかけるとか濡れ雑巾で机を拭くとかで済むが、水回りの掃除がめちゃくちゃ面倒なことがわかった。普通に見た目も感触も終わっているしなんか洗剤も使うのに注意が必要な感じでひたすら疲れる。夏場だからまだ良いが冬にこれ本当にやりたくないな....。あと塩素系洗剤の効果の高さに驚いた。ひとまずキッチンハイターとカビハイターにお世話になっている。
洗濯
上二つに比べると最弱の家事、という感じがする。知り合いに勧められていきなりドラム式洗濯機を買おうかとも考えて居たのだが、乾燥重量は洗濯重量に比べるといくらか少なく、どうせ干さなければいけないことを考えると別にドラム式じゃなくても良かったなと思っている。まぁ天気予報を見ながらこの日ぐらいしか晴れないから干さなきゃなぁとか考えるのが少々面倒くさいぐらい。風が強い日に干すとTシャツとかがめくれ上がってしまうのはどうすればいいんですかね。
その他
実は諸事情あってVDSLの部屋になってしまったのだが G.fast 方式、とかいうのが使えるのを引いてこと無きを得ている。下り500Mbps, 上り 150 Mbps は出ていて両方100は出ているし、時間帯による混雑なども無く特に問題無い。
椅子もなんか肘付きのやつを買ってしまい、高さによっては机と干渉してしまうのであまり良くなかった。まぁあると便利だけど別に無くても問題はない。無かったらデスクに肘置くし。
あと食事をするテーブルも一枚板のような形状では無く板の間に隙間が空いているタイプを買ってしまい、何かをこぼしたときに大変なことになる。これも前によく確認すべきだった。
これも友人が言っていたが生活は一度セットしたら自走してくれるわけではないのがつらい。家事のあれやこれが面倒だ、などと言いつつ日々食事をし、服を来て、シャワーや歩き回ることで汚れをまき散らしながら賽の河原を崩しているのは他ならぬ家事をしている本人なのである。こんな酷いマッチポンプは無い。
4, 5月労働記
「あの瞬間のおそろしさは、」と王さまは言いやめません。
「わしは一生、一生忘れやせんよ!」
「でもねぇ、あなた、」と女王は言います、
「メモにしてお置きにならなきゃ、きっとお忘れになりますよ。」
(引用元: 最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか)
前置き
2, 3月記はそのうち出ます、多分、きっと。
就職
世間一般の凡庸な理系学生と同様に凡庸であったので博士課程には進まず修士課程を卒業して民間企業に就職した。2, 3月記を飛ばしてまで先に 4, 5月記を書いたのは、自分の感覚が現在の環境に慣れつつあると思ったからだ。
3月に大学院を卒業した学生が労働者になったからと言っていきなり社会人に成れるはずもなく、4月の自分は割と学生寄りだったと思う。まぁ実際にバイトでやっていたようなことと会社でやっていることがそれなりに近かったのも遠因だとは思う。企業が最初に研修というステップというか過渡期間を設けるのもそれなりに納得がいく。物理的に、技能的に仕事が出来るかどうかというよりもそれ以前に心理的に労働者になっていない。
最初に感じたのは軽い後悔だった。就活はある程度納得できる帰結を得たにも関わらず、もしくはそれが達成出来てしまったからこそ、あったかもしれない方を進んでいた場合はどうなっていたかを考え、そして実際にそれをした人達と自分を比較していた。と同時にもし就活がこうなっていなかった場合を考えて安堵していた。
そして基本的にこの生活、朝起きて会社に行って仕事をしてがこの先40年は変わらないという事実に絶望した。これまでには一貫して何等かの「次」があり、そして次に相応しい、目指す場所があった。中学を卒業すれば高校があり、高校を卒業すれば大学があり、大学を卒業すれば大学院があった。しかし労働の先には労働しかない、転職をしようが基本的に何をしようが朝起きて会社に行って少なくとも8時間(そして基本的に8時間には収まらない)働き、夜に家に帰るのを週5日続け、週末に2日家事をして人生に持続可能性を持たせる。基本的に人生のスケジュールがこの調子なのは変わらないし、そして労働から逃れることはもう不可能である。このすごろくには上がりはない。
多分こういうことを感じたのは自分が大学院までやっていたことがそれなりに、というかかなり気に入っていたからだと思う。世間的にも一種の特別感がある領域だったし、大学でもそれに情熱を感じる人々がそれなりに集まっていて、常に何か目指すべきことがあった。しかし労働というのはどちらかというと一種の生きる術であり、それ自体が目的になることもあるにはあるが、一般的にはならない類のものでもある。オフィスのそこかしこで会社のスローガンというか社是というかを見かけるのも、会社への帰属感を感じさせ、労働にお金を稼ぐ以外のそれ自体に目的を持たせるためのものなのかなぁと、スローガンを見ながら思っていた。
まぁでも流石に二カ月も経ってしまうと上に書いたような話はただの備忘録でしかない。ちなみに同僚にこの話をしたらまだ一ヵ月だよ!?と言われた。多分まだ一ヵ月ですら、では無く、まだ一ヵ月だからこそ、の過渡期にしか感じられないようなものなのだと思う。人間は環境に適応するのが上手い。あと単純に一人暮らしを始めたことでそこそこ忙しくなり、こういうことを考える余裕があまりなくなったからなのかもしれない。
最近聞いたポッドキャストでも似たような話を扱っており、20代の学校を出た直後の若者に、労働が如何に人生の虚無感を味わわせるかについて語っていて面白かった。名前の高尚さのわりに珍しくfuckやshitが飛び交うので興味がある人は是非。
労働
4月の頭2週間に研修をし、研修が終わった後は最初に配属された部署でいくつかのやることを貰ってそれに取り組んでいた。が5月頭に、数か月前にやった人員整理を受けて行った人員再配置みたいなものがあり、それに巻き込まれて新しい部署に所属することになった。新しい部署の仕事の内容はあまり好みでないものだったのと、そしてその部署が引き継いだ物がヤバすぎて自分が最初に配置された部署がどれだけ恵まれていた環境だったかを今はしみじみと感じている。新しく出来た部署も、人員を余ったところから千切ってきて(自分はピザの千切られた側である)、人が足りないところとくっ付けたそこそこ寄せ集めの構成から成っている。なので今はチームビルディングみたいなところからやっていて、色々なものが定型化されておらず要領がわかっていないのもそこそこ現状のストレス要因になっている。 そして引き継いだものが本当に曰く付きの修士学生がやっても流石にこんなことにはならない、みたいな遺産を扱っている。大きな会社なのはわかるが会社の中でも物凄く出来が良い物と控えめに言ってあまりよろしくないものが混在しているのは頭がバグるのでやめて欲しい。
なお同期に言わせると同業他社に比べるとこの規模の会社でもまだベンチャー上がりみたいなものらしい。マジか。幸いにも部署の同僚?というかメンバーに関してはかなり恵まれていると思うのでそれに関しては素直に頑張っていきたい。
会社の中で英語が飛び交っているのも慣れてきた。少しずつ聞き取れるようにとかそういうのではなく、聞くべき時とそうで無い時がわかるようになってきた。と思ったら最近大事なことを聞き逃したらしく初めて怒られが発生した。なんとかしないといけない。一言英語で仕事が出来る、と言っても下っ端に求められるそれと管理職に求められるそれとは全然レベルが違うというのもわかってきた。管理職以上になると途端にネイティブの割合が増えるところからも薄っすらそういうところが見える。
会社の業績発表みたいなのを聞いていても少なくとも2, 3年前のような景気が良いと言える状況では無く、2回目の整理があっても不思議ではない。2回目があるかどうかは被用者としては全く分からないが他社の状況を見る限り2回目があったら間違いなく自分達のような立場が対象になるだろうと同僚に警告されたので、現在はそうなったらどうすべきか身の振りを考えている。考えていた進路の一つは達成されてしまったし、自分の航空宇宙への興味はまだ残っているのでもういっそ一旦足の裏の米粒でも取りに行こうかなとか妄想している。
1月記
修論が終わったはずなのに、体感的には今の方が忙しい気がする。
修論
1月は多分これに尽きてしまう。実験を遅くに始めた影響かでなかなか良い結果がでず、ずっと苦労していた。修論提出日は1月30日なのだが、修論と言えるような実験結果が出たのが提出3日前の夜だったので、2日で急いで修論本体(仮) と言えるようなものを作り, 2月頭の修論審査会に間に合わせた。なお、修論自体は3月まで差し替えが効くのでその時は30ページほどの体裁しかない修論を出した。2月現在本来であれば書き直す必要があるが, まだ手を付けていない。愚かなので。
普段はまぁ普通に2時ぐらいまで起きているので1徹ぐらいなら全然出来るだろうと思っていたがそんなことは全然無かった。それまで徹夜なんかほとんどしない生活を送っていたのもあるのか、普通に追い込まれながら朝から晩まで文章を書き続けるみたいなことをしているとめちゃくちゃ疲れてしまい、3時半にはもう寝ないと頭動いていない、みたいな状態になってしまった。こんなのでも何も言われずに修論審査通ってしまったので学科のガバガバ判定には感謝である。
その他
自分がずっと研究室で関わっていた衛星が無事打ちあがり, 現在も無事運用中である。というかこの運用が気になりすぎていたのもあって修論があまり捗っていなかった。様々なトラブルはあったが、ひとまずの在学中の目標であった自分の書いたコードが軌道上にデプロイされる、が達成出来て嬉しい。とはいえサービスは開発では無く運用され始めてからが本番なので後輩には頑張って欲しい。自分の書いたプログラムが24時間軌道上で元気に動いているというのはそれなりにいい気分になれる。
2022 年総決算
今年は順張りなので年末総決算記事を書きます。
前置き
年末というのは不思議なものでクリスマスはあークリスマスだなぁ、で終わるのだが年末はお店の営業時間や大学の暦も影響されるので世間全てが強制的に年末にさせてくる。なのでいくら修論がヤバいと言っても、今年一杯サボり続けたブログの更新をするか...という気分にもなってしまった。今年ずっと更新してなかったのはただ単に面倒になってしまって、一度更新しなくなるともうしなくていいや... の気分になっていたのが理由。いわゆる割れ窓というやつ。
1月
- なんか1月だけは真面目に記事を書いているのでそれを読んでくれ、もう思い出せない...。
2月
- 同期が内定を取っている中内定が無くてそれなりに焦っていた気がする。最終面接を終えた高校同期と一緒に東京タワーに登ったらしい。まぁ結局月末には初内定を得ることが出来てほっとした。やはり1個あるかそれとも全くないか、では全然心境が違う。
3月
- 結局今の就職先に応募したのは3月末だった。
- 学生もあと1年で終わるのかと思うと悲しくなった。先輩がいて自分が一番上では無いというのはかなり気が楽だったのを覚えている。
4月
- 内定が一つ増えた。この内定先は引っ張りまくった挙句結局蹴ったのでかなり申し訳ない。
- 月の初めに放射線試験をしに東工大の大岡山キャンパスに行ったが、桜がめちゃくちゃ綺麗で、謎の銀杏激臭キャンパスと比較すると結構うらやましくなった。あと放射線試験設備はやはりものがものだけに結構厳重で物々しいので何回やっても慣れない...。さらに放射線は目に見えないのでこれもしも事故で今も照射しっぱなしだったら死ぬんだよな、と思ったのを覚えている。
- 謎にフォロワーと一緒に隅田川の川下りをした。桜が綺麗で結構良かったな。
- 宝石の国が結構好きだったので宝石展に行こうと同期を誘ったらついでに上野周辺でぎんしお少々の聖地巡礼をしようと言われ、した。
- ここら辺からプロジェクトが忙しくなり始めてメンタルが長期的な悪化の一途をたどり始める
5月
- フォロワーに連れられて初めて競馬場に行って日本ダービーを観戦した。買った馬券は外れた。
6月
- ずっと工事していた葛西臨海公園のクリスタルビュー (謎のガラス張りの建物) の工事が終わったので見にいった。葛西臨海公園は幼少期によく行っていたので謎の郷愁がある。周りに家族連れしかいなくて肩身が狭かった。
- 初めてフィギュアっぽいものを買った。フィギュアじゃなくてぬーどるストッパーらしい。今は研究室に置いてるが中々良い。
7月
- 高校同期と小旅行に出かけた。写真を見返してて思ったがこの高校同期らとは結構一緒に出掛けていて車を運転してもらっている。かなりありがたいな...
- 現在の就職先の内定が出たのは結局7月だった。同じ大学の人々と比べると内定が決まったのは相当遅かったと思う。修士1年の5月には夏インターンに向けてESとかを書いていたので1年以上就活を地味に継続していたのか...。
- トップガンマーヴェリックを見た。かなり良かった。
- 赤軸を買った。が、重さが軽すぎて使っていてずっと違和感が無くならなかったので結局12月に茶軸に買い替えた。多分今後茶軸しか使わないと思う。
8月
- プロジェクトが終盤に差し掛かり忙しさを増す。今自分が時間を取られているこれは一体何になるのか本当にわからなかったし、合同でやっている某企業の対応というか一挙手一投足が本当に○○すぎてこの企業の製品は出来る限り買わないようにしようと思うくらいには最悪な日々だった。忙しいのに忙しさに意義を見出せないとやる気が破滅する。やる気が破滅するとクオリティも破滅する。これもまた日々の学びだね。
- 8月なのにまともな写真残ってないな...。年末と違ってお盆は強制的に休みにさせてこないので。
- SLS があともう一息で打ちあがるというところまで行ったが打ちあがらなかった、こいつには11月までスケジュールでひたすら振り回される日々が続くことになる。
9月
- 色々合ってパリに行くことになる。海外に行くと日本の良さが色々とわかる。パリの街並みは良かったし、観光もものすごく良かったが、ホテルのベッドが狭い、シャワーが水漏れしている、勝手に電車が止まるし説明はフランス語でしか書いていない、英語の説明は無い、など色々なサービス面が最悪だった。日本は金を払わなくてもサービスの品質が良い、海外は金を払わないとダメ、みたいな話はよく聞くが、それは間違っていてそもそも海外ではいくら払っても品質はついてこない。円安もあってこんなに払ったのに... という感想になってしまった。あとフランス人は思ったより英語が喋れない、街中の人に話しかけてもフランス語で返される。
- 同行者に感染者は誰もいなかったのでいつどこで貰ったのか不明だがコロナを持って帰って来てしまった。コロナは風邪の症状全部集めました、という感じで最悪だったし、日中に動けるようになるまで4日、以前の生活に復帰できるくらい体力が戻るまで10日はかかった。でも逆に言えばこれを年一で耐えればコロナ前の生活がB4から出来たと思えば、コロナ規制無かった方がずっと良かったな、とも思っている。
10月
- B4から関り続けたプロジェクトの一旦の区切りがついた。終わった心境としてはようやく一区切りついてくれてせいせいした...になっていた。
- 就職先の同期と顔合わせをする会があって、同期に高校同期がいることを知った。世界は狭いね...。
11 月
- 初国内学会対面参加。学会と言いつつ毎晩飲み歩いていて激太りした。お酒はほどほどに...。業界の有名人が一同に会するのでめちゃくちゃ楽しかったのは確か。
- 学会帰りに阿蘇に寄った。正直言って壮大な景色以外は何も無いが一回行くのはかなりおすすめ、めっちゃ良い。
- 衛星の運用に参加するために2週間相模原に閉じ込められた。プロジェクトが上手くいくとめちゃくちゃ気分は良いが、同時に打ちあがった他の衛星の状況を聞いて、深宇宙探査も中々の苦行だよなぁと思った。膨大な年月を費やして開発して打ち上げても電波すら受信できずに終わる、というのも全然稀では無いのである。さらに言えば月ですらタイムスパンが長いのに木星, 小惑星以遠の深宇宙探査をやってる人間は本当にすごい。プロジェクトの立ち上げから木星到達まで考えると普通に一人の人生のキャリアぐらいはあるので、全部に関わっていられる人間は恐らくいない。自分の経験を増やす、みたいな観点から言えば最悪である。ロマンと夢で仕事が成立するとは思わないが、ロマンと夢が無ければ少なくとも成立すらしない仕事である。
12月
- 某が就職するのでその前に月の頭に高校同期と紀伊半島に旅行に行った。やっぱり月1ぐらいで旅行に行けるぐらいの余裕が欲しい。めちゃめちゃ楽しかったのでまた行けると良いですね。串本で食べたカツオはかなり美味しかった。あと海を見ると精神が回復するのだがこれは何でなのだろう。
- この旅行ではカメラを忘れてしまったが、旅行にはなるべくカメラを持っていた方が良い。スマホで撮る時は何となくで撮ってしまうことが多く、カメラと違って何か明確な意思を持って撮られた写真が残らなくなってしまう。
- うちの研究室は基本的に10月にプロジェクトが終わってまともに修士論文に取り組み始められるのが11月からという慣例になっている。今年は11月に衛星の運用が入っていたせいでまともに取り組み始められたのは12月からなのだが何も上手く行かない。修論の締め切りは2月頭なのでマジでヤバい、というかまともに間に合うとはあまり思っていないのでほとんど諦めである。まぁうちの学科の修士号はガバガバらしいので出せば出るでしょ... とは思っている...。まぁそんなんだから例年修論開始が11月という謎の文化がまかり通っているのだが...。
- 久しぶりに通しで見たアニメだったぼざろがめちゃくちゃに良かったので見て欲しい。そして見た後に”星座になれたら”を聞いて欲しい。
まとめと来年に向けて
- 学生生活はそんなものだと思うが何かに追われ続けた1年間だった。来年はもっとのんびりできると良いな...。暫くは長期的に何かをしなければいけない、という状況から早く脱却したい。
- その割に何かが出来るようになったとか何かを新しく理解した、とかがほとんど無かったが悔しいですね。
- 学生生活が終わってしまう... という実感は全く無いし学生のうちにはこれだけはする!という謎の目標か何かは立てておくべきだったかもしれない。後悔しそうなので。
- 何だかんだ学生の時は次の進路がこうで恐らくこうなっていくんだろうみたいなものが続いていたが、社会人になるとそういう物は無くなってしまいただ徒に日々を費やしてしまう気がする。社会人1年目の目標は人生の目標を再設定し直す、になる...と思う。より良い未来と目標は現状を耐えるモチベーションになってくれる。
- 本を読む習慣を再開させたい。
- 2022年で一番良かった曲はぼざろが全部持って行きました、”星座になれたら”です。
- とりあえず修士論文を自己満足は出来るクオリティに持ってい...けるのか?
- Zola というか SSG を 5%ぐらい理解したので今ちょっとずつ Theme を作ってるが、HTML も SCSS も何もわからん。卒業までにはブログ移転したいね...。
それではよいお年を