陰キャは陽キャの夢を見るか?

以下の記事は「響け!ユーフォニアム」のアニメ1期、2期、「リズと青い鳥」、「劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」に関する重大なネタバレを含みます。見ていない人は早く見て下さい。

 

 

 

 

平成が終わり令和が始まりましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか。4/27に「やがて君になる」の7巻が発売されて、次の巻の発売が11月だと予告されてとても待ち遠しいです。まぁそれは置いておいて、先日、響け!ユーフォニアムのアニメの最新作が劇場版として公開されました。まぁ早速見に行ったのですが、それを通して色々雑念を生んでいたうちに形になりそうなものが出来たので残しておこうと思ってこれを書いています。話はそれますが、忙しくなって精神を不安定化させる余裕も無くなって最近このブログもどきを更新するモチベが少なくなってきたのを感じます。

 

更に話はそれますが、2月に「ファーストマン」という映画を見に行ったのですが、とても良かったのを覚えています。3月の春休みはコンテンツを出来るだけ消費しようとAmazonPrimeでアニメと映画を見ていたのですが、それで「インターステラー」を見て、良い映画というのは本当に良いなぁとも思いました。なので興味のある映画はなるべく映画館に見に行こうと思いました。(小学生並みの感想

 

それで話は響け!ユーフォニアムに戻るのですが、この作品を見て僕は自身の中高時代を顧みて、もっと中高時代に部活に励めば良かった...だとか中高時代をもっと有意義に過ごせば良かった...と今思うと無為に過ごしてしまった中高時代に思いを馳せて後悔の念に駆られていました。

でも、ちょっと考えてみてみると、あのストーリーに関わってくる中心的な登場人物というのは主に実力者、必然的に経験者で構成されています。例えば主人公である黄前久美子は小学生の頃から姉の影響でユーフォニアムをやっていますし、高坂麗奈は言わずもがなです。鎧塚みぞれ、傘木希美も中学の頃から吹奏楽をやっています。唯一、まともにストーリーに出てくる中で高校まで未経験者と言えば加藤葉月と中川夏紀ですが、アニメでは彼女らはそもそも大会のメンバー入りしていませんし、加藤葉月に関して言えば、その他の中心メンバーに比べれば物語に関わってくる度合いはほとんどありません。(そして、ここは少し大事だと思うのですが、彼女は2年生になっても、大会メンバー入りすることは出来ていません。)そして、劇場版に出てくる主要1年生キャラ3人、彼ら彼女らもそれなりの実力を持つ経験者として登場します。まぁ、北宇治高校吹奏楽部は全国大会を目指している、というストーリーである以上実力主義になるのでそうなってしまうも仕方が無いとも思いますが。

そしてこれは一応部活動ものであるので、練習することで成長する、といった要素があってもいいと思うのですが、中川夏紀を除けば努力が実るケースというのはほとんど出てきません。そして彼女がメンバー入りを果たすのも劇場版を待ってからです。(しかも久石奏の話があったので、その割に彼女のメンバー入りは久石奏の話の影に隠れてしまった様にも思えます。)彼女は1期で努力をしますが、それも間に合わず、2年生でメンバー入りは果たせません。(劇場版ではユーフォが3人であることを考慮すると、この時のユーフォ枠が2人で、経験者、田中あすか黄前久美子、が既に2人いたから落ちたというのは理由にはならず、明らかに原作というか脚本は中川夏紀を故意に落としています。)もしも黄前久美子らが3年生になって全国で金賞を取ったら(劇場版で全国落ちした事を考慮すると最終的にこうなるオチが待っていても全然不思議では無いと思うのですが...)卒業生として中川夏紀は自分が後1年遅れて吹奏楽部に入部していれば...と後悔というか嫉妬というかそういう念を抱くのではないのだろうか、思えてなりません...。自身がメンバー入り出来なかった2年生の時には、北宇治高校吹奏楽部は全国大会出場という夢を果たしてはいるので尚更その念は強くなっても仕方が無いように思えます。他の例も豊富にあり、例えば1期の中世古香織高坂麗奈の対立は印象的で、まぁストーリー展開上仕方が無いと思えますが、一応3年間努力してきた中世古香織に対して、高坂麗奈は圧倒的な実力と才能で勝利し、トランペットのソロを勝ち取ります。リズと青い鳥では、鎧塚のぞみの圧倒的才能を前に、努力をしてきたはずの傘木希美はついていけず、結局として彼女らは依存関係を解消する、という展開になっています。また、劇場版においても努力というのは重要なロールを占めています。先に加藤葉月の例を出しておくと、彼女に関しては合間合間でチューバの練習をしているシーンは出てきますが、結局劇場版のストーリー展開には全く関わって来ません。ストーリーに関わるのはメンバー入りした実力者達ですね。(一応この練習描写があるので、次回作があるとしたら3年生でようやくメンバー入り、感動!みたいな描かれ方をするのでは、と予想しています。)また、黄前久美子によって自身の価値観を変え、中学の頃の様に努力をしようと奮起した久石奏ですが、結局劇場版で北宇治は全国出場を果たせず、彼女の努力は報われません。思うに脚本はわざと北宇治を全国出場させなかったのだと思います。知人がTwitterで言っていて、印象に残っているのですが、必ず報われる努力というのは価値がありません。だってやれば報われるならば誰でもやりますから。一方でその努力が報われないかもしれない、努力がただの無駄になってしまうかもしれない、というリスクを抱えた上でする努力というのはその点において価値というか貴さを持ちます。そういう意味で言えば、響け!ユーフォニアムでは、努力がある程度描写されている(まだ近くの公園でラジオ体操をしている時間の中登校してきて練習する久石奏)以上、努力が順当に報われるよりかはその努力が裏切られることによって、努力がより一層価値を持つ、貴いものとして感動を生むのではないのでしょうか。だからこそ北宇治の全国落ちは、その後の主人公が3年生となった時の話の布石とする上でも、故意というか必然のものだったように今となっては思えます。

(ここの映画の最終シーンで高坂麗奈は泣きましたし、久石奏も泣きました。でも一方で黄前久美子は泣かなかったというのは、彼女が北宇治で吹奏楽部に入部した理由、中学3年の時のコンクールで泣けなかった、を考えるとすごく何か意味があるものではないのか、と僕は思えます。でも一方で、田中あすかがあそこで泣くかと言われたら泣かない気もします。)

じゃあ練習だとか努力だとかそういうのがあまり描写されない一方で、響け!ユーフォニアムで主に描写されているのは何かと言えば、それは人間関係です。1期では、黄前久美子が入学する前の3年生とやる気のあった1年生が対立していた悪影響の解消、そして中世古香織高坂麗奈のソロを巡る部内の対立。2期では傘木希美と鎧塚みぞれの関係と田中あすかという人物について。リズと青い鳥では、傘木希美と鎧塚みぞれの関係。劇場版では新入生2人、鈴木美玲と久石奏という人物について主に描写されています。劇中で主に描かれている北宇治というのは、部員全体の努力というよりかは、部内のいざこざを解決して部としての結束を高めた、という要素が大きいでしょう。つまり人々が一体となって何かの目標を目指すという、いわゆる青春や人間関係が描かれています。

 (話は変わるのですが、ここでオタクではなく陰キャという語を使用しているのは,

オタクは特定の嗜好や趣味を持つ人物を表す語として規定されている一方、陰キャは特定の思考や性格を持つ人物を表す語として規定されている、みたいな話を友人から聞いて、自分も使い分けの必要性を感じたので陰キャという語を使用しています。)

 

実際に僕が、響け!ユーフォニアムを見て中高時代を振り返って後悔するようなことと言えば、やはりその様な「青春」を送って来なかった、ということになります。自分の中高時代の部活での実力を思い出すと、2年生までの加藤葉月側、物語の舞台にあがってこれない側の人間だったし、努力もせずそうあり続けたから、自分には送れなかったなとも思っています。ですが、あの時きちんと部活を続けていれば…努力していれば…と響け!ユーフォニアムを見て思わずにはいられないのです。

(コンテンツでラブコメや百合作品を鑑賞する理由として、現実で為しえなかったことを代わりにコンテンツで消費する「代償行為」である、とTwitterで主張する人が複数いたのを覚えています。響け!ユーフォニアムはまさに僕のそれに当たる気がします。)

でもここで忘れてはいけないものがあります。そう、文化祭を始めとする行事、特に高3文化祭です。この行事では確かに結束して高3文化祭という目標に向かってはいなかったでしょうか。それ以外でも音楽祭などの行事は無かったでしょうか。客観的に見て、それらの行事は「人々が一体となって何かの目標を目指すという、いわゆる青春」に当たると思います。でも僕はこれを思い出して、少しでも、僕が響け!ユーフォニアムのような青春を過ごしたと言う事が出来ないのです。もちろん高3の文化祭が実際の部活に比べて期間が短い、明確な目標が存在しないなどの差はありますが。しかしながら現実に同じ部内の人間がこのアニメの中でしているような人間関係をしていたら、恐らく良い感情は全く持っていなかったことでしょう。僕が恐れているのは、そもそも僕には、このように現実の出来事を、そのような青春や人間関係といったものとして実感する感性を備わっていないのではないか、だからこそ今このような性格でここにいるのではないか、ということです。

手に入らないものを、それでもコンテンツという形式で消費することでそれを望み続けるというのはさすがに救いが無さすぎはしませんか?

近況報告

月1ぐらいで更新しようと思っていたのですが、期末で2月の冒頭が過ぎ、後述するもろもろで2月は過ぎていき、気づいたら3月になっていました。近況報告ってそういえば以前もこんな題でブログ書いてたっけって思ったら案の定3カ月ぐらい更新しなかった時に8月に使ってましたね。ブログの題に使えるようないい感じのポエムが無かったので。

期末試験

 学科に来てから初めての期末試験でした。他の学科はちょっとずつ試験が散ってた気がするのですが、航空宇宙は1/10ぐらいに最後の授業があって、試験開始が1/30と随分と試験まで時間がありました。の割に十分勉強したのか?と言われると結果から見ればそんなことは無いのですが。まぁ前期教養であればまぁまぁの出来かなぁぐらいの感触なのですが、優3割を学科民で取り合っている状況なので正直言って不安です。とは言え工学部の成績開示は遅く、3/26なので気長に待っていようと思います。

新人研修

航空宇宙では3Sに一部の学科民がCansat、ARLISSと言ったプロジェクトというかコンペティションというかに参加します。どういう物かはググってください。その前準備的なものとして、マイコンで何か作ろうというプロジェクトというか研修というかがあり、それが新人研修と呼ばれます。作る物は指定されず自分達で決めて、何から何までほとんど自分達で制作します。(電子回路の基盤まである機械を使って自分達で設計、秋月で部品買ってきてはんだ付けとかして組み立てる感じ)なんか今まで自分はそこそこ勉強の知識はあるけど、実際に物を作るとなると何一つとして何にも知らないんだなぁというのを実感しました。まぁ知識があっても作れるものでもないし、物を実際に作るのに常微分方程式とか使わない、とかありそうですが。というか2月はこれにほとんど費やされていて、土日とか関係無く春休みはほぼ毎日大学に通っていた気がします。それとサークルの仕事とか被って時間~とかってなっていました。自分のキャパがいまいち全然無い気がするので地獄の3Sに耐えられるようなキャパを持てるようになりたいです。(キャパキャパ言ってると意識高い系でなんかちょっと嫌。

20歳

2月にようやく20歳になりました。感想としてはこれ以上とって嬉しい年が無いので21歳にはなりたくないです。

香港旅行

 人生初の保護者同伴無し海外旅行で香港に行きました。飛行機のチケットもホテルも全部自分で取ったので割と心配でしたが無事楽しい旅行になって良かったです。とはいえ一人だと親から許可が下りなかったので、あるTK生に行かないかと誘ったら2つ返事で行くと言われたので彼と2人での旅行でした。そのうち1人で海外に行きたいです。

海外旅行の感想から言うと、普通に香港は治安が良い、現地の国の言葉を超簡単にでも良いから多少知ってるとかなり便利になる。(ちょっと見せて、とか私中国語わからない。私日本人。、とかあと時間とかごめんなさいとか電話番号とか)、英語を話さなければいけない状況に追い込まれると無理やりだけど話せるようになる。とかですかね。一人で東南アジアとかヨーロッパ、特にイギリスとかフランス、に行ってみたいのですが、現地語が全くわからない東南アジアは中華圏と比べて躊躇、そしてヨーロッパは単にお金が無い、というのが悩みどころです。

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香港の夜景

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夜のストリート

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飲茶、これは正直盛っている

これ欲しいなーと思ってお金使ってたら気づいたらお金無くなってたのでこれからは気を付けようと思いまーす。

正直人生最後の時間のある春休みだと思っているので、まぁ色々消費したいコンテンツとかあるのですが、勉強との兼ね合いが難しいです。ではでは

 

オタクとリア充の違い

表題はなんか二項対立を煽るようにオタクとリア充の違いと銘打ちましたが、別にリア充というよりかは社会適合者と言った方が正しいのかもしれません。あと初っ端は「オタクとリア充の違い」が思い浮かんで、直後「リア充とオタクの違い」でも良いなぁと思いましたが、結局こっちの方がしっくり来たのでこっちにしました。左側の方が帰属意識が高いので先に持ってきたのかなぁと自分で思いました。あとわざと二項対立になるように書きましたが、これから書くのはいわゆる「オタク」と「リア充」に関する話ではなく、むしろ「社会適合者」と「社会不適合者」に関する話だと思った方が誤解無く読めると思います。完全にタイトル詐欺ですがすいません。よろしくお願いします。

 

突然ですが、僕は社会適合者の皮を被るのが得意(?)な社会不適合者(?)です。なのでインカレ登山サークルに所属していたりします。先日そのサークルのクリスマス会的なものがあって行って感じたことがあって、実は去年も似たようなものがあって、そこでも感じたことだったのでとりあえず書いてみようかな~と思ってこれを書いています。

そのクリスマス会は別にどこかの居酒屋とかでやる物じゃなくて、先輩のお宅を借りて、スーパーに買い出しに行って、自分達で鍋を作りながら囲んで宅飲みする、みたいな会でした。どうでもいいですが宅飲みは居酒屋に比べて相当コスパが良いですね。時間制限無いですし別に満足に食べられますしそして何より安い。

 

ここからが本題ですが、その飲み会の話題はと言えば基本的に男女の恋愛関係がなんだの~の話でした。一つ上の代は一人を除いて皆さん全員彼氏or彼女がいらっしゃしますし、なんなら上の代の中で一組いて、サークル全体でも「僕が知っている」だけでサークル内に3組います。わーお盛ん。しかも別にオタクがリア充と聞いて想像しがちなWanimaみたいな人達じゃなくて、もう普通にそこら中いる一般人みたいな感じの人達です。高校同期男子3人でイルミネーション見に行ったときも思いましたが、世の中は結構カップルに溢れていると思うのです。少子化が~とか若者の恋愛離れが~とかはにわかには信じがたいですね。

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東京ミッドタウンのイルミ

話は少しそれますが、イルミネーションは思ったよりとてもきれいでした。一眼レフ持っていけば良かった...。特に青色のイルミネーションは本当に綺麗で、一見の価値ありだと思います。渋谷の青の洞窟とか近いですし、興味あったら行ってみることをおすすめします。

話を戻します。結局徹夜であれやこれや人の話を聞いてたわけですが、どの会話にもその場にいる人達の知っている誰かを対象をしたもので、人間関係に関する話を久しくしていなかった僕としてはすごい新鮮な気持ちで聞いていました。

一方でと自分の普段の会話を思い出してみると会話のうち8割ぐらいは意味をなしていませんし、基本的に好きなコンテンツ、アニメ、小説、アーティストなど、や、自分達の外の何か、例えば勉強であったり、ラーメンであったり、などが中心だと思います、人間関係の話なんかほとんどしません。学科の人達とは、と言えば、勉強か課題の話以外した覚えが無い、雑談とかしたことあったっけ...。ってか雑談が出来る気がしない。

サークルの人々の会話は自分達の話をしていてとても地に足のついたものだと思いましたし、普段の自分は会話は常に自分が何かを感じている対象という、自分達の外側にあるものへの話が多くどこか浮ついているように感じました。社会不適合者には内向的な人が多く、社会適合者には外向的な人が多いとはまぁよくあるステレオタイプ的な考え方ですが、会話の話題はその逆で、社会不適合者の話題というか興味は外向きで、社会適合者の興味は内向きだと思うと、そのギャップが面白く感じられますね。

とは言え、自分が高校生の頃はもっと人間に関する話をしていた気がするので、もしかしたら閉鎖的なコミュニティだと話が変わってくるというただそれだけの話なのかもしれません。

東浩紀動物化するポストモダンで出てくる大きな物語に絡めて言うと、コミュニケーションから降りる自由を選択した結果、物語がコンテンツへと移っていったのがオタクだとすると、コミュニケーションから降りないことを選択し、大きな物語が人間関係に移行したのがリア充だという対比になっているのだと思いました。

ここで書きたかったことは以上です。別にオチも何もなくてすいません。ただ、僕にとってこのサークルは結構ありがたい存在だなぁと思います。普段の生活を続けていたら独り立ちしてから社会生活を営める気が全くしません。そういう意味では社会に適合する良い予行演習、もとい異文化交流になっています。皆さんも積極的に異文化交流していきましょう。あと純粋に登山は楽しい。

 

別にオタクとリア充のどっちの生活が良いとかを判断する気はありません。というか善悪を判断するのはあまり好きではありません。そういう意味で言えば界隈の自らを社会不適合者としてダメな者認定して傷を舐めあうあの承認は何と言うか表現しづらいのですが、不健全であまり好きではありません。

この話は何回かした気がするのですが、恐らく僕が考えるに多くの人はメインストリームに属するのだと思います。正規分布上、2σ以上のはずれ値に属する人は全体の5%ほどしかいません。そしてこの社会はありがたいことにコミュニティの中にもコミュニティというものが存在します。例えばオタクは一般人からしたらメインストリームから外れていますが、オタクにはオタクのコミュニティが、そしてメインストリームが存在します。足繫く声優イベントに通うオタクというのはオタク全体から見ればメインストリームから外れますが、声優オタクにもコミュニティは存在します。自分達を社会不適合だとして傷を舐めあうコミュニティがあれば、またそういうメインストリームも存在してしまうのです。それでメインストリームから離れた~というのは嘘でしょう。何よりじゃあ一般人になることをそもそも望んでいたのでしょうか?

一般的幸福を諦めた~とかとかも多用されましたが、そもそも一般的幸福を諦めた、というよりそもそも望んでいなかったの間違いでは無いでしょうか?望んでいたのであれば怠慢が過ぎます。(ここらへんの話、自分の学業に対する態度にも刺さってくるので痛い)

とまぁまたもオチの無い話になってしまいました。ここらへんでやめます。

では快適な社会不適合ライフを!

 

追記:最近唐突にサカナクションの「ミュージック」にドはまりしました。ここ最近1日に10回ぐらい聞いてる気がします。

www.youtube.com

When life gives you lemons, make life take the lemons back.

表題は最近やったゲームで良いなと思った言葉です。

www.youtube.com

まぁとは言っても発言者はただのサイコパスなんですが...。と言っても今回の内容は表題と全然関係ありません。どうでも良いですが、最近全然~(肯定)みたいな文に対して全く違和感を覚えなくなってきたんですよね、昔はもっとあれ?みたいな感覚だったんですけど。

 

人生で初めてイベントに行きました。僕はアーティストのライブとかにも行ったことが無いので、これが初のタレントのイベントですね。

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自分が高2の時に第4回とかから聞いているラジオで今では140回とかまでやってるので結構初めの方から聞いてると思います。名前を知っている有名人を見たのは初めてで、いつも画面で見てる人が実際に前で立って話しているのを見ると、本当にこの人達はいたのか~と少し感慨深くなってしまいました。(それをその後同期に話したら"初々しい"と言われてしまった。)内容も芸人さん顔負けの面白さで(芸人のイベントとか行ったこと無いけど)行って良かったなぁ~と思いました。最初はチケットの値段見て、高いな~とか思ってたけど払って良かったと思いましたね。これからは興味のあるイベントはどんどん行ってみようと思います。(イベンターになるとかそういうわけではない。)まぁ多分行くとしても、このラジオか、もう一つ聞いてる声優ラジオ関連のそれぐらいしか無いのですが、あとはAimerかEgoistのライブとかはちょっと興味ありますね。

あ、後イベント後にとある同期と超久しぶりにしっかり話せて良かったです。結構変わってしまったのかなと思っていたらあんまり変わっていなかったり、あんまり変わっていないなぁと思っていたら実はしっかり変わっていたり、と。同窓会みたいな感じでいろんな同期と一堂に会するのも悪く無いですが、2,3人で集まってしっかり話すのも悪く無いなぁ~と思いました。

11月は、山は冬になって行かなくなった分(なのか?)旅行に行きました。具体的に言うと北海道(函館&札幌&小樽)と横須賀に行きました。

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函館の夜景

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小樽の街並み

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アメリカのイージス艦(at横須賀)

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猿島の隧道

北海道は羽田から飛行機で1時間とかで着いてしまうので結構近いですね、空港に1時間前とかに着くにしても家出て3時間後とかには函館の市バスに飛び乗ったり出来るので山よりも近い感覚です。

実は北海道旅行では帰りの飛行機が満席で、1時間40分後の飛行機に譲ったら1万円貰えました。超お得。

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協力金受領書

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封筒

航空会社の社名入り封筒は地味にレアなのでは?なんか珍しい物も貰えてめっちゃ良かった。

特に横須賀の猿島(無人島)は東京から近い割には激エモスポットなので是非是非。かなりおすすめです。

何にも無い全休とか、暇な土日とかにカメラ片手に唐突に旅に行くのは結構楽しいです。癖になりそう。うーんお金欲しい。

学科生活ですが、流石に2カ月半とか経って結構慣れてきました。ですが新しく学科で出来た友人とかは一人もいませーん。まずいですね。うーんまぁ少人数の活動とかも新しく出来たのでなんとかなるでしょう。多分。と思ってたら演習の授業に追いつけなくなってきています。頑張らねば...。

気付いたら12月も半ばに差し掛かってきて1年が終わろうとしています。進振り(今は進学選択だから進択?)を迎えて人生の分岐点を通り過ぎたはずですが、思い返してみると何にもない1年間だったな~という感想です。バイトで自分で稼いだ金で自由に遊べるようになったとか本当それぐらい。まあ今の学科に進むのは理一を受けた時点で決めていたことだからなのでしょう。僕は人並みに物を考えているつもりで生きていたのですが、実は全然そんなことなくてもっとテキトーに生きているのかもしれません。

では皆さん良いお年を。もしかしたら年末付近でまた更新するかもしれませんが。

文化祭に行きました

いい加減記事のお題の後ろに()で副題を付けるのをやめることにした。今回付けるとしたら、(多分来年は行きません)なのだが、なんかいつまでも自分が勝手に決めたルールに縛られているのが馬鹿らしくなった。

あとこの記事は家で何となく書きたくなって感情に任せて書いているのでところどころ文章が変なところがあると思う。ご了承願いたい。

本題に入る前に、別の話を。なんか10月は大学の授業が始まって睡眠時間が結構短くなっていて、大体5h~7hで推移していた。人間の身体って思ったより結構凄くてその生活を2週間ぐらい続けると5hとかでもちゃんと起きられるようになったのだが、そしたらその結果めっちゃ酷い頭痛に一度襲われたこともあって、意図的にちゃんと寝ようと思った。最初のうちは7hとかで目が覚めてしまうので、それで目が覚めたなって思っても二度寝するようにして、それで寝れる日は目覚ましかけずに8h~9h寝るようにしたら大体目が覚める前に夢を見るようになってしまいその結果起きた後の疲労感が酷い。というわけで最近は妥当な睡眠時間を模索している。でも目覚ましはかけたくない...。

というわけでどうでもいい睡眠時間イキリはこのへんにして本題に入る。

 

母校の文化祭に行った。

 

去年は2日目も3日目も文化祭に行ってお祭りを満喫していた気がする。内部ではない、外部からの参加というのは実にその時は7年ぶりとかで不思議な感覚だった。けれどお祭りは十分に楽しめた。

今年は学科の課題だのなんだので何だかんだ忙しくて3日目の午後、それも午後3時以降だけ行った。結果から言えばほとんどの高3演劇班などの出し物は終わっていて時間を余らせてしまった。余った時間は基本内部の時と変わらず競りを見ていた気がする。

今年は去年とは打って変わって強烈な部外者感を感じた。

校内の装飾も、展示もほとんど過去6年間も見てきたものと似たようなものでその背後にある赤本だの、文実だの、木工だのも全部記憶にある。でも唯一そして絶対的に文化祭に至るまでの過程を経験していない。

内部の時の自分は9月から10月までの2カ月間、高3であればおよそ1年間のその過程の結果として、文化祭の3日間が存在するように感じていた。でも卒業生にとってはそうではない、母校に行くと突然そこに完成された見せ物が用意されている。まずそこで強烈な違和感を覚える。

物語に共感するためには、そもそも価値観を共有していなければならない、そして自分には価値観、つまり文化祭に至る過程の数カ月間、もっと言えば筑駒生としての生活、が全くない。

そして、去年はまだ筑駒を卒業したばっかりで、時々筑駒に行く機会もあったのか、まだまだ筑駒生、という意識だったのかもしれないが、今年は2個も下で基本的に知り合いなんかいなかった。大学が後期課程に移り始め、一部曜日のキャンパスが本郷になったのもあって筑駒との関わりは薄くなり始めていた。それに加えて3日目午後のみの参加である。校内の何もかもがもう、お前は筑駒生ではない、と訴えかけているようだった。

そもそも文化祭は3日間しか開催されない。1週間ほどあれば話は別だが、その3日間のために1年間を、しかも受験前の1年間を投げ打つ高3などはっきり言って正気の沙汰ではない。大学に入ってからそこまで全てを投じて熱中したものなんてあっただろうか、いや無い。正直言って羨ましい。もう一度文化祭が出来るなら是非やりたい。文化祭など関係なかった土日はあまりに淡々と過ぎていく。

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筑駒生というアイデンティティを失った今、アイデンティティは筑駒65thとなりつつある。そうやっていつか筑駒65thというアイデンティティから移る日が来るのだろうか。

筑駒に戻るたびに、徐々に色褪せてしまい加工されていく過去の日々を思い出すのはつらいので多分来年は文化祭には行かないと思います。(とか言いつつもしかしたら行くかもしれない。)

さようなら筑駒

追記:自分が高2の時に描いた将棋部の立て看が今だに使われていて、またそれがエモかったです。

 

輪廻転生(来世は何になりたいですか?)

twitter.com

さて

どうやらオタクは現世で徳を積んで来世で美少女に生まれ変わるのが好きらしい。Twitterで検索をかけるとぞろぞろ出てくる。上の検索だと流石に1週間に1件程度だが、「来世は美少女」だけだと10分に1回とかそういうペースでツイートが出てきて流石にビビった。(9/30,20:00現在)

別にそういうオタクをあげつらって笑いを取りたいわけではない、確か高2か高3の時に自分も似たようなツイートをしていた記憶がある。

まぁそんな感じでこの前電車に乗ってる時にふと考えていたのだが、ちょっと思ったのだ、あれ?現実的に考えてそれは意味が無くね?と

皆さんは前世の事を覚えているだろうか。

とまぁなんか怪しい宗教勧誘が始まりそうな一文であるが、まぁ多分一部の方を除いて多くの方は前世の事など覚えていないはずである。前世どころか大半の方は赤ん坊の頃の記憶もほとんど残っていないはずである。え?覚えてないのは僕だけだって?それはちょっと悲しいなぁ...。前世の事を覚えていないのであれば、来世の自分も恐らく現世の自分の事を覚えていないはずである。となると、もしも輪廻転生のシステムが実際に現実にあると仮定したとしても、当たり前だけど現世で頑張って徳を積んで無事来世で美少女になれたとしてもその恩恵を受けるのは現世の自分ではない。前世までの自分の記憶を一切失っている来世の美少女になったはずの自分である。でもだ、前世までの記憶を一切失っている自分をそれをもはや「自分」と呼べるだろうか。夜に寝て、朝目が覚めた後の自分との連続性があるかどうかとかそういう話とは全然次元が違う。トラックに轢かれて異世界転生してチート系能力を得る主人公でも、まだトラックに轢かれたこととか前世の自分が冴えないやつだったことは覚えている分まだマシだ。前世と一切連続しているところが無い分それはもはや赤の他人では無いだろうか?

少し話を変える。宗教自体どうにもならない現世を変えるほどの力は無いため、ほとんどの宗教は現世における一般的幸福を諦めて、(おいお前、一般的な幸福が~とかメインストリームが~とか言ってるお前、本当に一般的幸福は諦めたのか?)死後の世界で幸せになろうという主張が多く、従って死後の世界について説いている。そこで輪廻転生について簡単に調べてみると、(NAVERまとめとWikipediaを10分だけ参照することを簡単に調べると、と言うことを許されるのであれば)どうやら輪廻転生という概念を持つ宗教自体珍しいらしい。キリスト教は死んだ後は復活の日まで土に埋まって待っており、ラッパの音で一斉に目覚め、最後の審判を受けて天国か地獄かに分けられるという。というわけで肉体が消えてしまってはそもそも審判を受けられないため、向こうでは火葬は厳禁であり、埋葬は基本的に土葬である。(埋葬と土葬って土に埋めるからどっちも同じじゃね?と思ったのだが、土葬を指す場合と、火葬風葬土葬など一般に遺体の処置の方法全般を指す場合があるらしい)イスラム教とユダヤ教も死後の考え方は基本的に同じである。というのもこれら3つの宗教の天国・地獄という概念はゾロアスター教の考え方が起源になっているという説もある。

東洋に目を向けてみる。日本でも同様に死んだらあの世に行くという概念がある。ところが仏教とヒンドゥー教だけは特異的に輪廻という概念を持つ。(特異的にと言ったが、この2つの宗教の信者の数を足し合わせたらなかなかな数にはなる。)ヒンドゥー教では上でそもそも無いのでは?書いたような永続的な主体が存在すると主張し、一方で仏教では死と共に主体的な意識は消滅すると主張しているらしい。なら猶更何故誰がために徳を積むのか不思議である。そんな宗教が社会に受け入れられ、多くの人が信じているのだから宗教の「大きな物語」のための側面は偉大なのだろうか?それとも為政者にとって宗教というのは社会を安定させるために便利なのだろうか。

余談だが、このWikipediaから引用すると「輪廻転生は日本では伝統的な死生観と考えられることが多いが、先祖が輪廻転生するなら祖霊は存在せず、先祖祭祀は無意味であるため、この2つは矛盾する面がある。」とある。確かにその通りで笑ってしまった。

matome.naver.jp

転生 - Wikipedia

話を戻そう。主体の意識的な連続が無いのであれば、どうして人々は来世を信じるのだろうか。そして来世の自分のために徳を積むだろうか。これは一般的に言われていることだがやはり、死というものを克服するためではないかと思った。

死というのは生きとし生けるもの全てに必ず、不合理にも、平等にも訪れる。自意識を持つ人間であればどんな人間も死の恐ろしさから逃げることは出来ない。もしも死んで、そこで自分が完全に消滅してしまうというのはあまりにも空しい。自分が存在した証拠が世界から完全に消滅することは死よりも恐ろしいことと語られる。「確認されない死のなかで」(皆さん覚えているだろうか)という文章の中で、人は死ぬ前に自分の名前を残したがる、というのはとても印象的で今でも覚えている。

ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、〈ひとりひとりの死〉がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名で呼ばれなければならないものなのだ。

「みじかくも美しく燃え」という映画を私は見なかった。 だが、そのラストシーンについて嵯峨信之氏が語るのを聞いたとき、不思議な感動をおぼえた。映画は、心中を決意した男女が、死場所を求めて急ぐ場面で終るが、最後に路傍で出会った見知らぬ男に、男が名前をたずね、そして自分の名を告げて去る。

私がこの話を聞いたとき考えたのは、死にさいして、最後にいかんともしがたく人間に残されるのは、〈彼が〉その死の瞬間まで存在したことを、誰かに確認させたいという希求であり、同時にそれは、彼が結局は〈彼として〉死んだということを確認させたいという衝動ではないかということであった。そしてその確認の手段として、最後に彼に残されたものは、彼の名前だけだという事実は、背すじが寒くなるような承認である。にもかかわらず、それが、彼に残されたただ一つの証しであると知ったとき、人は祈るような思いで、 おのれの名におのれの存在のすべてを賭けるだろう。 いわば一個の符号にすぎない一人の名前が、一人の人間にとってそれほど決定的な意味を持つのはなぜか。それは、まさしくそれが、〈一個の〉まぎれがたい符号だからであり、それが単なる番号におけるような連続性を、はっきりと拒んでいるからにほかならない。ここでは、疎外ということはむしろ救いであり、峻別されることは祝福である。

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(死ぬ前でさえ承認欲求が残るとは、承認欲求は何とも恐ろしいものなのだろうか。)

何か自分が現世に存在したという証拠は欲しいし、さもなければ死んだ後も自己が存在していて欲しい、だから来世というのは特別に魅力的な概念なのだろう。来世さえあれば死など全く怖くない。(話が少しそれるが、以前このブログの別の記事でも書いたが、死が恐ろしいのはやはり死んだ後に何があるかわからないのであろう、なら死への恐怖を和らげるだけでも来世という概念は十分でも魅力的では無いだろうか。)

 前世・来世というのは本当に魅力的で、何と水素水もびっくりな前世療法という療法すらあるらしい。

前世療法 - Wikipedia

この記事のなかに書いてあったが、前世の記憶に関してはなかなか面白い次のような話もある。

 前世記憶について、それを思い出す人の前世は大抵、国王や貴族など高貴な身分であり、召使などの低い身分のものであることはない、といった批判がある。そうしたケースでは、前世記憶は願望が投影された虚偽記憶である事になる。ジョン・レナードは「中でも最も人気の高いのはクレオパトラで、男性の場合は大抵、古代エジプトのファラオという形を取る」と批判している。霊媒であったダニエル・ダングラス・ホームは「私は12人のマリー・アントワネット、20人のアレキサンダーに拝謁を賜っているが、過去生で街角の只のおじさんだったという人には一度もお目にかかったことがない」と揶揄している。

 人とはなかなか救い難い存在であるようだ。

アーメン

月記(夏休み振り返り編)

自分のブログを見ると大体月1で更新している?みたいです。1日に1回書くのが日記であればさながら月記と言ったところでしょうか、まぁ6月と7月は特に書くことも書く気も無くてサボってたので月記と書くのはちょっと盛っているのですが...

あと、どうでも良いですけど2月から記事の題名は、「題名(コメント)」にしています。しています、というか意図的にし始めたのは5月からですね。理由は特に無いです。気づいたから何となく続けたくなったからでしょうか。

夏休みを振り返ると3回旅行に行きました。本当はこれに加えて3回山に行くはずだったのですが、全部台風か悪天候で潰れました...。旅行3回のうち高校同期と行ったやつは雨で電車が止まり、台風のせいで行先をいくつか変更しています。それに加えて家族と行った旅行は現地に台風が直撃していた(19号とか21号までは結構日本に来てたのに、22号は本当に自分を狙ったかのように香港・広西省に行った。結果的にギリギリ交わした形になったので、影響はほとんど無かった。あと1日日にちがずれていたら香港国際空港が閉鎖されていて行けないところだった)ので今年の夏は本当に総じて天候に関してついていなかったです。自分は割とオカルトだの神だのそういうのは信じないようにしているのですが、台風21号が日本に行って、南アルプスに行くはずだった山行を潰し、旅行の行程を変えさせ、台風22号が自分を狙ったように香港に逸れた時には流石に神の存在を信じるところでした。とは言え、人間というのは偶然に意味を与えたがる生き物らしいので(人間以外に物事に意味を与える生き物を僕は知りませんが)まぁこれは本当にどうしようもない偶然なのでしょう。考えてみると、総火演に行けた、とか京都旅行の天気はすごい良かったとかそういうのはあまり感謝していなので、単純に人は損失に対する評価が大きいだけなのでしょうか。

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 高校同期がチケット当てた総火演にて、砲塔を同じ方向に向けた戦車かっこいい
 
 

不幸自慢はここまでにしましょう。

近況報告としてはあとは、山が無くなって暇になったのでPythonの勉強を始めました。と言ってもPython、すごい色んな機能があって色んな事が出来るみたいで僕の手に負えない感がすごいです。しかし同時期に色んな人がドルフロをしているのを見て、思わずドルフロを始めてしまいました...。某〇これで、本当に苦い思いをして一生ソシャゲをしない誓いを建てたのですが...。それで勉強は全然進まず関数で止まっています。今は周りの人を見てまた危機感が湧いて来たのでもう1回やろうと思っているところです。

あと他の近況報告としては航空宇宙学科への進学が決定しました。1Sの時は成績微妙だったのですが、終わってみたら思ったより余裕でした。まぁ何とかなるものですね。今日はそのガイダンスをやってきたところで、前期教養の時と比べて教授との距離が近いみたいで、ガイダンスの後の懇親会でそれなりに教授と話せたのはすごく良かったです。航空宇宙では1年後にまた2つのコースに分かれるみたいなので、またそれまでに進路をじっくり、まぁそれほど時間は無いですが、何をするか決めていこうと思います。

では。