ポエム(こういうのがお好きなんでしょう)

雨は嫌いだ。頭痛がするから。

 

頭痛と言ってもある一点が痛くなる感じの頭痛だ。プールで間違って鼻から水を吸い込んでしまった時のような頭痛がある一点で起こる。

実験が終わって夜のバイトまで暇なので毎週火曜日は学食で小腹を満たしてから暫く図書館に籠っている。籠っていると言ってもそんなに真面目でないので勉強しているわけではない。大抵スマホを弄っている。

4階の北側の窓際席がお気に入り。景色が良くドコモタワーまで見渡せる。ただ、夏は暑く、冬は寒い。特に今日は、4月下旬に数日連続で夏日だったほど暑かったにも関わらず、かなり冷え込んでいて窓から冷気が流れ込んでくる。昼前に降りやんだはずの雨がまたぱらつき始めて窓に痕を残している。

前日にEEICのガイダンスに行ってきた。本当に行く気が無かったのでとりあえず話を参考に聞きに行く程度けど...正直すっごい面白かった。教授も学生もみんな本当に楽しそうで...。全く行く気なんか無かったのにここも悪くないと思ってしまったほど面白かった。でも家に帰って少しゲームして落ち着いてから気づいた。あそこにいたのはほんの数人の成功例に過ぎない...。自分があの中に入って果たして何になれるのだろうか。自分は何になりたいのか。

進路はずっと悩んできた。高3の春、今思うと理Ⅲから逃げるようにして航空宇宙を目指すことを決めた。幸いにも運にも恵まれてギリギリ点数は足りている。大幅ではないが。もう決めた、学部に入った後の進路も数通りに絞ったはずだったのに...。それでもたまに目移りしてしまう。そういえばお前、こういうのも好きだったよな、と色々なものがちらついてきて。結局進路なんか決まっていなかったのかもしれない。自分のやりたいことを常に意識するのが大事とか考えているくせに結局何もわかっていない。

 

オシロスコープの考察は本当に書くことが無くて10行程度書いたところで手が止まってしまった。これ以上悩んでも出てこないものは出てこないので諦めて来週の予習に移る。ふと顔を見上げると外はもうすっかり暗くなっていて、自分の顔がガラス窓に浮かび上がる。自分の顔は嫌いだ。ニキビなのかそれとも肌荒れなのかもうよくわからない。親に急かされて皮膚科にも行ったが結局良くならなかった。自分の顔をあんまり見たくないので写真も好きではないし、なるべく鏡も見ないように意識している。唯一髭を剃る時だけはどうしても見なくてはいけないのだが。

 

気温が下がって暗くなると色々なことを考えるようになる。それとも今さらになってようやく現実を見ざるを得なくなったのだろうか。

 

雨は嫌いだ。頭痛がするから。

 

幽霊の正体見たり枯れ尾花(575)


この前花粉症が流石に無視できないぐらい酷くなったので病院に行ってきました。花粉症自体は高2から自覚症状があったのですが遂に目が痒くてたまらなくなってしまうほどまでなってしまったので。薬を4種類ほど処方してもらって今4日程使い続けているのですがぴたりと症状が止まっています。流石薬ってすごいですね。あと同時にアレルギー血液検査もしてもらいました。どうでもいいのですが、このアレルギー血液検査ってすっごい高いんですね、確か5000円ぐらい取られました。医者も悪くない職業だなぁ...とか思いました、まぁ絶対ならないんですが。あと血液検査なので大学に入学したときの血液検査ぶりに採血したんですが、まぁ静脈の血液の色っておぞましいですね、赤紫というか、暗い赤色というか、何とも表現し難い色をしています。

ところで血液って随分と特殊な液体だと思うのです。同じ液体と言えど、水道水とかに抱く親近感とか全く抱けませんよね、ついさっき、取り出されるまでは自分の身体のそれこそありとあらゆるところを駆け巡っていた液体だというのに。むしろ採血された血液にはよそよそしさすら感じます。

別の例を挙げてみましょう。例えば髪の毛。人の頭の髪の毛を気持ち悪いと思う人はそれほどいないと思います。というかそういう人は本当に生きづらそうだなぁと思います。じゃあ逆に床に落ちた髪の毛とかどうでしょう。こうなるともう汚さの象徴というかそういうものになってしまっていますね、人の頭の髪の毛は平気だったのにそこから切り離されて床に落ちただけでなぜこんなにも評価が変わってしまうのでしょうか。

というのを説明する文章を受験勉強の時に読んだ記憶があります。題名が思い出せないのが悲しいですが、大体以下のような内容だったと思います。

血液や髪の毛、爪やあと汚いですが排泄物というのは元々は「自分の」体に付属していて完全に「自分のもの」と言える状況でした。しかし一度それが自分たちの体から離れるとそれはもはや「自分のもの」とは言い切れません。かと言って、じゃあペットボトルとかシャーペンとかみたいに完全に「自分のもの」でないもの、「外のもの」か、というとまたそれも言えないと思うのです。つまり血液などは「自分のもの」とも「外のもの」とも分類出来ない、既存の枠組みの中に入れられないからこそ気持ち悪さを感じ、禁忌として扱われるのです。

似たようなことは血液の色についても言えると思います。あの赤紫というか暗い赤色というかの色は一言できっぱりと○○色と言うことができません。だからこそ気持ち悪いとか、気味が悪いといった印象を受けるのだと思います。

ここからが今回の本題です。僕はこの考え方を発展させて、恐怖や気持ち悪さというのは無知から来るものだと思っています。例を挙げましょう。

例えばお化け屋敷。お化け屋敷っていつどこから驚かせ役が来るのがわからないから怖い。例えば幽霊。幽霊は何故現れるのかわからないから怖い。幽霊はいつどこに現れるのかわからないから怖い。幽霊は何をするのかわからないから怖い。例えば暗闇。暗闇には何がいるかわからないから怖い。もしかしたら恐ろしいものが潜んでいるかもしれないけど知る術が無い。

 まぁ毒蛇とか高い崖とかそういうところから来る恐怖は本能的なところから来るものなので、全ての恐怖が無知から来るとは言えないですが...それでもその死からくる本能的な恐怖も死について詳しく知らないという無知から来ていると、説明することも出来ます。

 というわけで今回の題名に戻ります。昔の人は良いことを言っていますね。幽霊だって、いつどこにどうして現れてそして何をするのかさえわかってしまえば、それこそ枯れ尾花と同じぐらいの怖さ、全然怖くありません。昔の人と言えばアメリカ人のエマーソンが既に似たような考えを言っていたそうです。まぁ同じこと思いつく人は10000人いるらしいですからね...。(やってみる人100人、続ける人1人)学びというのは恐怖を無くすためにも必要なことなのかもしれません。

 

なんか初回ぶりにくっさいこと書いた気がする...。

京都旅行(2,3,4日目)

というわけでこの前の続きです。

で、いきなりなんですが2日目は発熱して寝込んでました...。orz。1日目の午後から喉が痛いことに気づいて龍角散ののど飴買ってなんとか抑えこもうとしたんですけどダメでしたね。夜行バスで京都についてすぐに1日中歩きまわって動き回ったのがダメだったんですかね...。本当に3日間馬鹿みたいに綺麗に晴れてたのに勿体ない...。

結局2日目の予定行程は以下の通りです。

伏見稲荷大社平等院鳳凰堂、東寺、西本願寺東本願寺、二条城、京都御所下鴨神社上賀茂神社

結局動けたのが15時以降だったので行程は、下鴨神社上賀茂神社、東寺になりました。

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下鴨神社はあんまりよく覚えていません、なんか水に浮かべると結果が見られる水御籤、みたいなのが売ってるみたいです。お洒落ですね。

次に向かった上賀茂神社、確か下鴨から40分かかって行ったんですが、行くのが遅すぎてなんか5時にはもう閉まってました、悲しい。HPにでも書いておいてくれ...いや僕が見てなかったのかも...。まぁ次京都行ったときにでもまた訪ねましょうか。

というわけで時間が余ってどうしようかと思っていて、夜の京都で開いてるのなんて東寺しかないなーと思って東寺に向かいました。もともと東寺なんて行ったことも無かったので。結論から言うとこれはめちゃくちゃ正解でしたね。めちゃ綺麗でした。

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うーん綺麗に撮れない...。やっぱ一眼レフって難しいですね...。

3日目は普通に朝起きられずに、朝7時起床のところ10時に起きました...。まぁ友人家なんでつい夜更かししますよね、一人旅なので行動力が弱いところも悩みですね。まぁあと今回の一人旅でうすうす思ったんですけどまぁ一人旅って勝手な行動できて楽しいですけど、複数人での旅行はまた違った楽しさがあります。あと一人旅って色々考えなきゃいけないので普通に疲れますね、無茶な行程とか普通に組み立てて実行出来るのでそこは良いと思いますけど。

というわけで3日目です。

3日目の行程は以下の通りです。

平等院鳳凰堂金閣寺仁和寺、嵐山(天龍寺、竹林の小径、渡月橋)

平等院鳳凰堂は8時半に開凸するつもりだったんですけどねぇ...。やっぱり睡魔には勝てないんやなって。

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10円玉を生で見た...。あと博物館みたいなところで間近で鳳凰(多分レプリカ)を見れたのは良かったです。かっこよかった...

f:id:h1hun:20180407202342j:plain金閣寺はめっちゃくちゃ人が多かったです。なんか元の場所に戻ってこれると思い込んでいて、一番最初の撮影スポットを平然と逃してしまったのは普通に後悔してます。

仁和寺に関しては特に言及することもないのですが...。ところで仁和寺の最寄りのバス停の名前って御室仁和寺って言うんですよ。これ案外難読漢字だと思いませんか...?正解が知りたい人は普通にググってみてください。

天龍寺は確か16:45ぐらいに着いて、天龍寺って確か17:30とかには閉まるんですね、急いで回りました。庭園の花が咲き乱れてて綺麗でした、やっぱ京都の桜って良いね。

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見にくいですが花の上に鳥が止まってます。なんて名前なんでしょうね。

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というわけでずっと行きたかった竹林の小径です。夕方のほの暗い雰囲気も悪くは無かったですが朝とかお昼に行きたかったですね、ずっときれいなんだろうなぁ...

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最後に回った渡月橋、月が出ててなんか雰囲気あって良いですね。

最後は四条河原町まで出て生八つ橋を買いに行きました。生八つ橋は僕が一番好きなお菓子ですね。ちなみに一番好きな食べ物はとんかつです。

ところであの三角形の有名な生八つ橋は有名どころでは井筒八ッ橋、本家西尾八ッ橋、聖護院八ッ橋などがあります(もっとあるかも)。僕は聖護院八ッ橋の存在を忘れてて、井筒八ッ橋と本家西尾八ッ橋だけを食べ比べるために買ってきました。結論から言うと僕は本家西尾八ッ橋の方が好きです。今度は食べ比べるために聖護院八ッ橋も買ってきたいと思います。

3日目の夜はあの有名な天下一品銀閣寺店に行ってきました。

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なんか店員のおじさんめっちゃ気さくだし店内の雰囲気は完全に地元の中華料理屋って感じでした、ちなみにめっちゃ美味しかったです。味は新宿の天一とは結構違いました。次行くときは是非とも天一総本店にも行ってみたいですね。

4日目は18切符で京都から東京まで鈍行まで帰ってきました。

はえものハウスから京都駅までバスで向かってる途中で一番最初に乗る予定の琵琶湖線(京都~米原)が事故で止まってるって聞いたときは流石に心臓が止まるかと思いました...えっ帰れなくなるの...?まぁ無事に予定時刻より早く米原に着けて良かったですが。

結局京都から家までは10時間ほどかかりましたが、本を4冊ぐらい持って行ったのでそれほど退屈しませんでしたね、Twitterもありますし。残り時間とか残りの距離とか考え始めたら多分だめです。時間が勝手に過ぎ去るのを感じていましょう。

ところで途中の静岡駅で降りてさわやかハンバーグを食べようとしたのですが...

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136分待ちっておかしいでしょ!!!!!

最初から待ってた人はなんか17:30とかから待ってました。静岡県民(静岡市民)恐るべし...。結局夕飯は静岡駅のSoup Stockで済ませました...悲し。

あと東海道線静岡県を移動するときはなるべくホームライナー使うと良いですよ、320円で買える人権です(指定席が手に入ります)。めっちゃ快適でした。

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というわけで今回の旅行記はおしまいです。春の京都は本当に良かったのでおすすめです。皆さんも是非行ってきてはどうでしょうか?そうですね、次は誰かと複数人で回ってみたいです。

 

京都旅行(0日目&初日)

突然ですが僕はいわゆる旅行記みたいな文章が割と好きです。小学生の頃は割とネットで旅行記を漁って読んでいた記憶があります。その頃の記憶もあってからなのか、寝台特急とかは割と乗ってみたいなーとか思っているのですが、あれよあれよという間に、あけぼのが廃止され、トワイライトエクスプレス北斗星カシオペアもいなくなり、今ではサンライズ出雲、瀬戸ぐらいしか定期運行しているものが残っていませんね(間違ってたらごめん)、これも時代の波とかいうものなのでしょうか。廃止されてしまう前に一度は乗ってみたいものです。四国や山陽に旅行したいという方がいたら是非誘ってください。僕だけサンライズに乗って参ります。あとは最近読んだ旅行記ではこれが結構面白かったですね。

travel.spot-app.jp

とまぁ前置きはこれくらいにして今回の記事は自分でも旅行記とやらを書いてみようじゃないか!と言った趣旨のものです。

旅の始まりは深夜(23:00)のバスタ新宿です。今回は夜行バスで京都に向かいました。その直前まで(具体的に言うと22:35まで)新宿でバイトをしていた僕は夕飯をいつ食べるかで困っていたのです。幸いバスタ新宿構内にはコンビニがあるそうなのでそこで買えば良いと思っていましたが...そこは深夜のバスタ新宿、おにぎりやサンドイッチなどとうに売り切れていました。僕の想定が甘すぎましたね...。しかし時刻は22:50。バスの集合時間まであと10分しかありません。慌てて新宿駅南口から甲州街道を少し西に行った交差点の角にあるファミマまで走ります。無事集合時間までには間に合いましたが、多分ここ1年で間違いなく一番ガチで走った気がします。めっちゃ疲れた...。しかも汗かいたし...。この状態で夜行バス乗るのか...。幸先が思いやられます。

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格安夜行バスって感じですね、テント泊で慣れていたのか、案外よく眠れました。隣のベトナム人(ちょっと話した)がめっちゃ又を開いてこっちに体を押し付けてくるのと休憩ごとに照明をほんのり(大嘘)点けて起こされるのだけは難点でした。やっぱり少しぐらいお金積むべきでしたかね。

京都には予定通り7:00に着きました。

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もう3月も下旬ですがほんのり寒いです。京都駅の目の前にある京都タワーを見るとなんか京都来たなーって感じがしますね。僕が京都に来たのは家族旅行と関西地域研究以来で3回目になります。1日乗車券を買うために7:30になって事務所が開くのを待って居ようと思っていましたが、なんと1日乗車券は自動券売機で買えました。これは後で知ったことですが、なんなら1日乗車券はバスの車内でも買えるらしいです。

とりあえず友人の家まで行って荷物を置いていきます。初日の予定行程は以下の通りです。

銀閣寺→哲学の道平安神宮南禅寺→蹴上インクライン→八坂神社→建仁寺清水寺三十三間堂

バスで銀閣寺に向かったのですが、銀閣寺へ向かう道で既に哲学の道は始まっています。もう桜がめちゃくちゃ綺麗でこれだけでも京都に来た甲斐があったなと思いました。

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朝の銀閣

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やはり朝は人も少なくて静かですし良いですね。

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ところで今回の旅行には一番の入門ぐらいの一眼レフ(父親のだが全然使わないので借りた、Canon EOS Kiss X7とかいうの)を持って行ったのですがそれでもこんな感じのデジカメよりも圧倒的に綺麗な写真が撮れて楽しかったです。ご両親などが持ってる場合は一度借りてみてはいかがでしょうか。

 銀閣寺の後はひたすら哲学の道を南下して平安神宮へ向かいます。哲学の道ではもうひたすら桜の美しさに感動していました。いや本当良かった。僕の運が良かったのもあるけど本当春の京都おすすめ。

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ところで下の写真はスマホで撮ったものです。単焦点モードとかいうので撮ったものですが、無加工でここまで盛れるなんて最近のスマホも侮れませんね。

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平安神宮、なんか数百円払うとお庭が見られるらしいのですが時間の都合上今回は飛ばしました。次来る機会があったら行ってみたいですね。

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お次は南禅寺、三門が立派でした。あの有名な琵琶湖疎水の橋があるところですね。「南禅寺 琵琶湖疎水」でググってもらえればわかると思います。方丈庭園も綺麗でした。

南禅寺から次の蹴上インクラインまでは歩いて5分ほどです。

声優の佐〇綾音さんのファースト写真集、「さくらのおと」のなかにも蹴上インクラインの桜の中にいる佐〇さんの写真が出てきます。

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こっちはお昼近くということもあり人がめちゃくちゃ多かったです。

一旦地下鉄を使って東山まで出て、お昼ご飯を食べました。その後はバスで祇園まで移動します。

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流石京都、平日とは言え春休みだからなのかすごい人の量ですね。八坂神社に関しては特に言及すべきことも無いので飛ばします。強いて言えば着物を着て歩き回ってる人が多かったのが印象的でした。流行ってるんですかね。

お次は建仁寺です。

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お庭がすっごい綺麗でしたね。あとちらっと映ってるのですが、着物を着て写真撮影をしている観光客もいました。何がすごいって彼らのうち大体は中国人観光客で、しかも専属のプロのカメラマンが付いてきて写真を撮ってるんですね。カメラマンの分の旅行代金も払うとなると一体いくらかかるんだか...お金持ちだなぁと思いました。

お次は清水寺へ向かいます。

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途中の三年坂という場所で撮った写真です。なんか、イケてません?w

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やっぱり清水寺は人が多かったです。にしても綺麗に晴れてますね。

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清水の舞台は改装中...泣いた。

清水寺にいる間にLINEで某が北大から後期の追加合格を貰ったことを知ります。本当におめでとうございます。

結局三十三間堂は時間切れで初日に回りきることが出来ませんでした...。まぁ2日目以降の行程は余裕をもって組んだので大丈夫でしょう...と思っていたのですが...

というわけで2日目に続きます。

 

 

 

人生(主語がデカい)

いきなりですが、映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」を見に行きました。絵は流石P.A.WORKSの作品だけあってとても綺麗でしたし、話もまとまっていて良い映画だったと思います。興味がある方は是非見に行ってみてはいかがでしょうか。

 

さてここからが本題なのですが、あくまで私一個人の感想なのですが、さほど面白いなと思うことが出来ませんでした。何故面白く思えなかったのかについて考えていこうと思います。

普段僕がアニメだったり小説だったりを楽しむときに大事にしてるのはその物語に共感出来るのか、といった観点です。すごい簡単な例で言うと例えば主人公が男子大学生だったりすると(四畳半神話大系とか)今の僕は物凄く主人公に共感を抱くことが出来るでしょう。しかし共感を抱くのに必要なことは、なにも自分と立場が近いことではありません。PSYCHO-PASSやハーモニーの登場人物とは、境遇はとても似ても似つかぬものですが、僕は彼ら、彼女らに共感することが出来ます。大事なのは登場人物の判断や感性が自分の価値判断に照らし合わせて妥当か、どうかということです。要するに主人公と価値観が近いかどうかが共感できるかどうかに関わってきます。そして、共感出来る物語であれば僕は登場人物に感情移入して物語を面白いと思うことが出来る、というわけです。

さて、話は戻って映画の内容をざっくりまとめるとある親子についての物語です。主人公がみなしごを拾い、懸命に母親として頑張るといった内容でした。友人曰く、いわゆる「人生礼賛」といったようなところでしょうか。

今思い返すと映画鑑賞中僕は登場人物にほとんど感情移入しいませんでしたし、なんなら隣のおっさんめちゃくちゃ泣いてるな~と観察していたほど映画に集中も出来ていませんでした。

勘の良い方ならもうお気づきでしょうが、僕はこの映画の主張と反対する人生の捉え方をしています。まだ齢19でも一応人生観的なものはありますが、その中に結婚や子育てと言ったものは全く入っていません。というか元々期待すらしていませんし、なんなら仕事終わって人生つまらなくなったら自殺!wとかまでのたまえるほどです。僕の中で重要なものはどちらかというとどこまで有名な企業で働けるか、昇進出来るかと言ったところでしょう。人間は年になったら結婚して親になるといった「古くさい」価値観には多少の嫌悪感すらあります。

一方で「さよならの朝に約束の花をかざろう」で素晴らしく描かれている価値観と言えば、血も繋がっていないにもかかわらず、親から子に対して無償で注がれる愛だったり、望まぬ子供にも関わらず芽生える愛情だったりします。当然ですが僕の価値観とはとても似ても似つきません。僕が面白いと思えないわけですね。

 

というのが僕が映画を見た感想でした。最後になりますが、僕はこの映画の批判をしたいわけではありません。繰り返しになりますが、絵も物語も声優さんも素晴らしい映画だったと思います。

 

親になる、という話に関してはあるTK生が呟いていたこの記事は非常に面白いと思いました。

p-shirokuma.hatenadiary.com

このブログはこうしめくくられています。

”「若者」をやるべき時期に「若者」的なメンタリティを持ち、自分自身を成長させるのは素晴らしいことだけど、ライフコースの先まで見据えるなら、いつまでも「若者」的であり続けるのが正解とは限らない。その次にやって来る「大人」の季節についても考えを巡らせておいたほうがいいんじゃないだろうか。”

 

しかし僕は未だにこの価値観を理解することが出来ません。少子高齢化の解決のためなどが主張の根拠に挙げられることがありますが、問題の原因は自分たちではありませんし、そんなに簡単に解決される話ですらありません。まるで利用されているかのような感覚には反発感すら覚えてしまいます。

 

少女終末旅行最終話考察(?)

※タイトルからも察せられますが、以下の記事は作品「少女終末旅行」(著:つくみず、漫画1~5巻が新潮社から出版)の大量のネタバレを含みます。ネタバレされたくない方はここでお引き返し下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで今回は少女終末旅行の最終話に関する話です。

2/12~13に旅行に行っていたんですが、車の中でやることが無さ過ぎて少女終末旅行のうちネットに残っている分を読み返していました。そこで最終話のある部分に気が付いていたく感動したので今回の記事を書くに至ったわけです。

今回話がしたいのはこのページです。

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出典:少女終末旅行第42回 

http://www.kurage-bunch.com/manga/shojoshumatsu/42/

というかこの部分です。

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この場面までのあらすじを簡単に説明すると、育て親のおじいさんにひたすら上を目指すように言われていたチトとユーリがついに都市の最上階についたはいいが、そこにはもう何も無かったというそういう場面です。

大事なのはここのセリフが「生きるのは最高だよね…」ではなく、「生きるのは最高だった(・・・)よね…」となっていることです。

この時点でチトとユーリは一つ下の基盤からかなり長い時間をかけて螺旋階段を登って最上層に到達しています。そしてもう全ての食料を食べきってしまっています。(実はこの後そうでは無かったことが判明するのですが)つまりもうこの時点で彼女達には生き残る可能性は残っていません。それがわかっているからこそ、「生きるのは最高だったよね…」と最高が過去形になっているのです。チトとユーリの具体的な年齢は作中では明かされていませんが、ユーリのバストがそこそこ大きい点から考えると、恐らく13~15歳程度ではないかと推測されます。その年代の子供がもう自分は死ぬしか無いと分かったうえで落ち着いて「生きるのは最高だったよね…」という発言をしたと考えると何か胸に来るものがあります。

この後二人は爆薬を取り出して自殺の準備を始めます。

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(出典:同上)

流石にこう淡々と自殺の準備を始められると哀れに思わずには居られません。

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(出典:少女終末旅行 第41回

http://www.kurage-bunch.com/manga/shojoshumatsu/40/

)

その前の回では、温かい食料を確保するために、チトの生きがいでもあった日記をチトが自分で破って燃やし始めますし、こうやって段々と人間が人間であることをやめて動物になっていく様を描かれると流石に心に来ますね...。でもこういう風に基本日常を描いておきながら時々シリアスで刺してくる少女終末旅行の空気が僕は好きです。

実はこの後におじいさんがどういう気分で2人を旅に送り出したかなども考えていたのですが、考えながら酷い勘違いというかあえて自明なことを無視していたことに気づいたのでやめます。

 

わりかし僕はこういう考察に関しては、流石に制作側もそこまで考えていないだろうという風に少し見下す風潮があったのですが、案外やってみると楽しいものですね。あとこれは僕の勝手な持論なのですが、想像や妄想は現実逃避することでストレスを軽減するのではないかと思ってます。なので妄想が増えてくるとあぁ自分疲れてるんだなぁ...という風に思うようにしてます。

なんかまぁ全体的に少女終末旅行ステマっぽくなってしまいましたが、まぁそれで良いです。みなさんも少女終末旅行買って読みましょう。(円盤全部買えるほどのお金が無いのが悔しい)

嘘松に関する一考

今回はタイトル通り嘘松に関する話です。

みなさん嘘松って聞いたことありますか?と言ってもまぁ多分結構な人はどこかで聞いたり見たりしたことがあるのではないでしょうか。簡単に言うとある人が自分の経験、友人から聞いた話など、「実際にあった話」として語られれている話を、「作り話、嘘」だと指摘することですね。以下嘘松の定義をこれとして話を進めていきます。

 

今回の話の発端は十六浪咲夜(@IzanamiSakuya)のツイートです。

 

 この先は僕の日頃の感想を軸に話が進むのでもしかしたら同意出来ないかもしれません。その時はごめんなさい。

 

この開き直りを見て僕は正直かなり腹が立ちました。と共に不思議に思ったことがあるのです。

僕は日頃から嘘松という指摘に対して正直いらいらしていたのです。例えば声優ラジオなどで読まれるメールに対して嘘松というコメントがなされるのをそこそこな頻度で目にします。その度に僕は思うのです。確かにメールで読まれるためには多少話が派手な方が良いし、時には嘘も混ざってくるかもしれない。でも別に嘘だって良いじゃないか、本当かどうかわからない話を嘘だ、と決めつけるのは野暮だと。

一方でこのツイートを見た時には逆に開き直った本人に対してかなり腹が立ちました。そもそも十六浪咲夜なんて名前を先に決めてから設定を練ったような名前ですし、最初から作り話なんだろうな、しょうもないなぁと思っていました。それでも本人が嘘でした~などと開きなおったらそれはすごく腹が立ったのです。

この2つの嘘松に対する態度の違いは何が理由なのでしょうか。僕なりに考えた理由は、やはり「嘘をつく」というのは悪いことであるとされているのではないかということです。

 

詳しく説明します。Twitterや声優ラジオへのメールなどは個人が本当にあったことを語る場所として想定されている、と少なくとも僕は思っています。なのでそこで嘘をついてふぁぼを稼いだり、メールに読まれようとする行為は少なくとも悪と見なされます。だからこそ十六浪咲夜は非難されるべき存在となります。彼の存在価値は十六浪の浪人が現実に存在すると思わせること、ただそれだけでした。だって架空の十六浪、なんて全然面白く無いですからね。それに価値を持たせるには十六浪を中心としたストーリーを展開して小説にでもする必要があります。

同じ様な理由で声優ラジオのメールへの嘘松、に対しての不快感を説明できます。そこでの嘘松とは、嘘だという決定的な証拠も無いのにメールを嘘だとしてメール投稿者を悪者にしたて上げる行為です。本人は潔白かもしれないのに悪者にされるのは、流石に傍目から見ても腹が立ちますよね。

 

というのが今回の嘘松に関する考察です。まぁ嘘松がいつ生まれたのかは知りませんし、経緯とかそういのに興味がある人はまた自分で色々と調べてみてください。今回の話はちょっと「お客様は神様」に通ずるところがあるなぁとも思いました。普段の何気ない日常会話とかツイートでも話を面白おかしくするために、多少話を盛ったり嘘を混ぜ込んだりしてもばれない範囲であれば許されるでしょうし、それを嘘ではないか、と咎める行為は野暮なものとみなされます。一方で話した本人が嘘で何が悪い!と開き直るのはまた別の問題です。社交辞令とかでも多少の嘘は必要ですし、余命1年のがん患者にそれを告げるかどうかなど、嘘の倫理というのは非常に難しいですが、まぁ嘘と上手く付き合っていきたいですね。

 

https://twitter.com/IzanamiSakuya/status/950371618705981440

https://twitter.com/IzanamiSakuya/status/950371618705981440