文化祭に行きました

いい加減記事のお題の後ろに()で副題を付けるのをやめることにした。今回付けるとしたら、(多分来年は行きません)なのだが、なんかいつまでも自分が勝手に決めたルールに縛られているのが馬鹿らしくなった。

あとこの記事は家で何となく書きたくなって感情に任せて書いているのでところどころ文章が変なところがあると思う。ご了承願いたい。

本題に入る前に、別の話を。なんか10月は大学の授業が始まって睡眠時間が結構短くなっていて、大体5h~7hで推移していた。人間の身体って思ったより結構凄くてその生活を2週間ぐらい続けると5hとかでもちゃんと起きられるようになったのだが、そしたらその結果めっちゃ酷い頭痛に一度襲われたこともあって、意図的にちゃんと寝ようと思った。最初のうちは7hとかで目が覚めてしまうので、それで目が覚めたなって思っても二度寝するようにして、それで寝れる日は目覚ましかけずに8h~9h寝るようにしたら大体目が覚める前に夢を見るようになってしまいその結果起きた後の疲労感が酷い。というわけで最近は妥当な睡眠時間を模索している。でも目覚ましはかけたくない...。

というわけでどうでもいい睡眠時間イキリはこのへんにして本題に入る。

 

母校の文化祭に行った。

 

去年は2日目も3日目も文化祭に行ってお祭りを満喫していた気がする。内部ではない、外部からの参加というのは実にその時は7年ぶりとかで不思議な感覚だった。けれどお祭りは十分に楽しめた。

今年は学科の課題だのなんだので何だかんだ忙しくて3日目の午後、それも午後3時以降だけ行った。結果から言えばほとんどの高3演劇班などの出し物は終わっていて時間を余らせてしまった。余った時間は基本内部の時と変わらず競りを見ていた気がする。

今年は去年とは打って変わって強烈な部外者感を感じた。

校内の装飾も、展示もほとんど過去6年間も見てきたものと似たようなものでその背後にある赤本だの、文実だの、木工だのも全部記憶にある。でも唯一そして絶対的に文化祭に至るまでの過程を経験していない。

内部の時の自分は9月から10月までの2カ月間、高3であればおよそ1年間のその過程の結果として、文化祭の3日間が存在するように感じていた。でも卒業生にとってはそうではない、母校に行くと突然そこに完成された見せ物が用意されている。まずそこで強烈な違和感を覚える。

物語に共感するためには、そもそも価値観を共有していなければならない、そして自分には価値観、つまり文化祭に至る過程の数カ月間、もっと言えば筑駒生としての生活、が全くない。

そして、去年はまだ筑駒を卒業したばっかりで、時々筑駒に行く機会もあったのか、まだまだ筑駒生、という意識だったのかもしれないが、今年は2個も下で基本的に知り合いなんかいなかった。大学が後期課程に移り始め、一部曜日のキャンパスが本郷になったのもあって筑駒との関わりは薄くなり始めていた。それに加えて3日目午後のみの参加である。校内の何もかもがもう、お前は筑駒生ではない、と訴えかけているようだった。

そもそも文化祭は3日間しか開催されない。1週間ほどあれば話は別だが、その3日間のために1年間を、しかも受験前の1年間を投げ打つ高3などはっきり言って正気の沙汰ではない。大学に入ってからそこまで全てを投じて熱中したものなんてあっただろうか、いや無い。正直言って羨ましい。もう一度文化祭が出来るなら是非やりたい。文化祭など関係なかった土日はあまりに淡々と過ぎていく。

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筑駒生というアイデンティティを失った今、アイデンティティは筑駒65thとなりつつある。そうやっていつか筑駒65thというアイデンティティから移る日が来るのだろうか。

筑駒に戻るたびに、徐々に色褪せてしまい加工されていく過去の日々を思い出すのはつらいので多分来年は文化祭には行かないと思います。(とか言いつつもしかしたら行くかもしれない。)

さようなら筑駒

追記:自分が高2の時に描いた将棋部の立て看が今だに使われていて、またそれがエモかったです。