近況報告(お久しぶりです)

気付いたら最後に更新してから3カ月が経っていました。時が経つのは早いものですね。

5,6,7月の僕が何をしてたかというと基本的にバイトに勤しんでいた気がします。一番忙しい時には週に10時間とか入れていた気がしました。最初の方はめちゃくちゃ金が稼げる~って言って楽しんでたのですが、そのうち7月にもなると流石に飽きて来ました。え、今日もこんなバイトしたのに、また明日もバイト入ってるからここ来なきゃいけないの...みたいな。そう考えているうちに夏休みに入ったのはすごいタイミングが良かったと思います。社会人になると年がら年中働かなきゃいけない、それも大学生の授業の比ではない頻度って思うとちょっと嫌ですね、社会人の皆さん偉すぎませんか。

あともう一つ思ったのはバイト増えてきてまぁ流石に使えるお金も増えてきたんですが未だに金銭感覚が元のままです。なんか買いたいって思ったものはすぐ買えるぐらいにはなったんですけど流石に物欲はそこまでないですし、月によって使った額の変動も激しいです。果たしてそれで良いんですかね...。まぁ貯金は悪いことでは無いので良しとしましょう。将来一人で生きていくときになった時にきちんとした金銭感覚を持てるかちょっと心配です。

というわけでバイトに嫌気がさしていたころに夏休みが来て京都に旅行に行けたっていうのは結構いいタイミングでした。旅行っていうのは日常生活のしがらみから逃れる手段としてはかなりいいものですね。まぁその中でもバイト関係でLINEだの電話だのが来た時は流石にブチ切れそうになりました。人が気持ちよく庭を眺めている間に電話するんじゃないよ。

京都へはJRの青春エコドリームという夜行バスで行ったのですが、外国人観光客が乗ってるのが意外でした。いや日本まで来たなら新幹線乗って行けよ...。どうせ50$しか変わらないんだし。

京都に着いたらまず伏見稲荷に行きました。やっぱ人のいない観光地っていいものですね。3日目も朝早く起きて嵐山に行きましたが、おかげで全く人のいない千本鳥居と竹林の小径を撮ることが出来ました。

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話は変わるのですが、京都には珍しいお寺もあって、嵐山よりも南の方に鈴虫寺というお寺があります。そこでは一年中、季節に関係なく人工的に飼育された鈴虫の音を聞くことが出来ます。 又お寺の参拝の形式も、お金を払って境内に入って自由に見学するというものではなく、30分に一度ほど観光客がまとめてお寺の中に入り、冷房が効いた広い部屋に集められて、お茶とお菓子を出されてお寺の人の説教?を聞くというものでした。説教と言ってもそんな堅苦しいものではなく、世間話の中に、人と自分を比べないとか、過去にとらわれず今を大事にしようとか、そういう軽い感じのものです。例えばこのような話がありました。花は赤いが、柳は緑。みんな違ってみんないい。みたいな。でも残念ながら人は花と柳ほど違うわけではなく、柳と柳な気がするのです。そりゃ柳しかいなければ自分がどれぐらい綺麗な緑か比べたがるのではと。まぁこんなところで謎に斜に構えてお寺の人の話にけちをつけてもしょうもないのですが。まぁ人と自分を比べないというのは仏教の悟りの中でもかなり段階が上の方なみたいですね。

 慢 - Wikipedia

あと、自分が他人と比べてコンプレックスとなっている部分を改善しようとするのではなく、他人と自分を比べるのをやめる、という認識の方を変えていこうとするあたりが認知療法と似ているなぁとも思いました。

 

他に旅行のいい点としてはやはり現地で直接物に触れることが出来ることではないでしょうか。

 それを始めて体験したのは去年の中国地方の旅行で原爆資料館に行った時のことでした。知識として8/6日に広島に原爆が落とされ、大勢の方が亡くなったことは知っていますし、黒こげになった人が映っている写真もいくつも見たのですがどこか頭の中でそんなことがあったという程度の認識でした。しかし、資料館で原爆の熱で変形したとされたアルミのお弁当箱を見た瞬間に、その場にあった写真や文章、8時15分で止まってしまった時計が本当にあったこととして妙にリアリティを持って感じたのを覚えています。

それを京都で感じたのは法金剛院という花園扇野町にあるお寺でのことです。そこは滝(めちゃくちゃ小さい)が日本最古の人工滝として特別名勝に指定されているらしく、大量の蓮が植わっている池があるお寺です。

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 まぁ実感したのは蓮ではなく仏像です。それまで死ぬほど仏像を見てきたのですが、そこに来て突然昔の人々はこの仏像に祈ってたんだなあという実感が湧いて来ました。昔に比べて今は科学が発展しましたが、今の人々は昔の人に比べて全能感が増えたり、無力感が減ったりするのでしょうか。僕はそれほど変わらない気がします。まぁ数値として評価できるのかって言われたらそれはそれで微妙な気がするのですが。

三十三間堂でも大量の仏像や神像が置かれていたのですが、神って書いてあるくせにどう見てもモデルが人間なんですよね。人間の想像力の限界を感じました。それとも単に人間は神に近い高次な存在だと思いたかったのでしょうか。なんか偶像崇拝に反対する気持ちもわかる気がします。形になった途端に身近で、陳腐なものに思えてくるような気がするのです。

というわけでよくわからないお気持ち垂れ流し記事になってしまいました。2週間には進振りの第一段階発表があります。希望通りの学科に行けると良いんですけどね、それとも本当に希望に出した学科に自分は行きたいって思ってるんですかね、もうよくわかりません。

よい夏休みを。