幽霊の正体見たり枯れ尾花(575)


この前花粉症が流石に無視できないぐらい酷くなったので病院に行ってきました。花粉症自体は高2から自覚症状があったのですが遂に目が痒くてたまらなくなってしまうほどまでなってしまったので。薬を4種類ほど処方してもらって今4日程使い続けているのですがぴたりと症状が止まっています。流石薬ってすごいですね。あと同時にアレルギー血液検査もしてもらいました。どうでもいいのですが、このアレルギー血液検査ってすっごい高いんですね、確か5000円ぐらい取られました。医者も悪くない職業だなぁ...とか思いました、まぁ絶対ならないんですが。あと血液検査なので大学に入学したときの血液検査ぶりに採血したんですが、まぁ静脈の血液の色っておぞましいですね、赤紫というか、暗い赤色というか、何とも表現し難い色をしています。

ところで血液って随分と特殊な液体だと思うのです。同じ液体と言えど、水道水とかに抱く親近感とか全く抱けませんよね、ついさっき、取り出されるまでは自分の身体のそれこそありとあらゆるところを駆け巡っていた液体だというのに。むしろ採血された血液にはよそよそしさすら感じます。

別の例を挙げてみましょう。例えば髪の毛。人の頭の髪の毛を気持ち悪いと思う人はそれほどいないと思います。というかそういう人は本当に生きづらそうだなぁと思います。じゃあ逆に床に落ちた髪の毛とかどうでしょう。こうなるともう汚さの象徴というかそういうものになってしまっていますね、人の頭の髪の毛は平気だったのにそこから切り離されて床に落ちただけでなぜこんなにも評価が変わってしまうのでしょうか。

というのを説明する文章を受験勉強の時に読んだ記憶があります。題名が思い出せないのが悲しいですが、大体以下のような内容だったと思います。

血液や髪の毛、爪やあと汚いですが排泄物というのは元々は「自分の」体に付属していて完全に「自分のもの」と言える状況でした。しかし一度それが自分たちの体から離れるとそれはもはや「自分のもの」とは言い切れません。かと言って、じゃあペットボトルとかシャーペンとかみたいに完全に「自分のもの」でないもの、「外のもの」か、というとまたそれも言えないと思うのです。つまり血液などは「自分のもの」とも「外のもの」とも分類出来ない、既存の枠組みの中に入れられないからこそ気持ち悪さを感じ、禁忌として扱われるのです。

似たようなことは血液の色についても言えると思います。あの赤紫というか暗い赤色というかの色は一言できっぱりと○○色と言うことができません。だからこそ気持ち悪いとか、気味が悪いといった印象を受けるのだと思います。

ここからが今回の本題です。僕はこの考え方を発展させて、恐怖や気持ち悪さというのは無知から来るものだと思っています。例を挙げましょう。

例えばお化け屋敷。お化け屋敷っていつどこから驚かせ役が来るのがわからないから怖い。例えば幽霊。幽霊は何故現れるのかわからないから怖い。幽霊はいつどこに現れるのかわからないから怖い。幽霊は何をするのかわからないから怖い。例えば暗闇。暗闇には何がいるかわからないから怖い。もしかしたら恐ろしいものが潜んでいるかもしれないけど知る術が無い。

 まぁ毒蛇とか高い崖とかそういうところから来る恐怖は本能的なところから来るものなので、全ての恐怖が無知から来るとは言えないですが...それでもその死からくる本能的な恐怖も死について詳しく知らないという無知から来ていると、説明することも出来ます。

 というわけで今回の題名に戻ります。昔の人は良いことを言っていますね。幽霊だって、いつどこにどうして現れてそして何をするのかさえわかってしまえば、それこそ枯れ尾花と同じぐらいの怖さ、全然怖くありません。昔の人と言えばアメリカ人のエマーソンが既に似たような考えを言っていたそうです。まぁ同じこと思いつく人は10000人いるらしいですからね...。(やってみる人100人、続ける人1人)学びというのは恐怖を無くすためにも必要なことなのかもしれません。

 

なんか初回ぶりにくっさいこと書いた気がする...。