嘘松に関する一考

今回はタイトル通り嘘松に関する話です。

みなさん嘘松って聞いたことありますか?と言ってもまぁ多分結構な人はどこかで聞いたり見たりしたことがあるのではないでしょうか。簡単に言うとある人が自分の経験、友人から聞いた話など、「実際にあった話」として語られれている話を、「作り話、嘘」だと指摘することですね。以下嘘松の定義をこれとして話を進めていきます。

 

今回の話の発端は十六浪咲夜(@IzanamiSakuya)のツイートです。

 

 この先は僕の日頃の感想を軸に話が進むのでもしかしたら同意出来ないかもしれません。その時はごめんなさい。

 

この開き直りを見て僕は正直かなり腹が立ちました。と共に不思議に思ったことがあるのです。

僕は日頃から嘘松という指摘に対して正直いらいらしていたのです。例えば声優ラジオなどで読まれるメールに対して嘘松というコメントがなされるのをそこそこな頻度で目にします。その度に僕は思うのです。確かにメールで読まれるためには多少話が派手な方が良いし、時には嘘も混ざってくるかもしれない。でも別に嘘だって良いじゃないか、本当かどうかわからない話を嘘だ、と決めつけるのは野暮だと。

一方でこのツイートを見た時には逆に開き直った本人に対してかなり腹が立ちました。そもそも十六浪咲夜なんて名前を先に決めてから設定を練ったような名前ですし、最初から作り話なんだろうな、しょうもないなぁと思っていました。それでも本人が嘘でした~などと開きなおったらそれはすごく腹が立ったのです。

この2つの嘘松に対する態度の違いは何が理由なのでしょうか。僕なりに考えた理由は、やはり「嘘をつく」というのは悪いことであるとされているのではないかということです。

 

詳しく説明します。Twitterや声優ラジオへのメールなどは個人が本当にあったことを語る場所として想定されている、と少なくとも僕は思っています。なのでそこで嘘をついてふぁぼを稼いだり、メールに読まれようとする行為は少なくとも悪と見なされます。だからこそ十六浪咲夜は非難されるべき存在となります。彼の存在価値は十六浪の浪人が現実に存在すると思わせること、ただそれだけでした。だって架空の十六浪、なんて全然面白く無いですからね。それに価値を持たせるには十六浪を中心としたストーリーを展開して小説にでもする必要があります。

同じ様な理由で声優ラジオのメールへの嘘松、に対しての不快感を説明できます。そこでの嘘松とは、嘘だという決定的な証拠も無いのにメールを嘘だとしてメール投稿者を悪者にしたて上げる行為です。本人は潔白かもしれないのに悪者にされるのは、流石に傍目から見ても腹が立ちますよね。

 

というのが今回の嘘松に関する考察です。まぁ嘘松がいつ生まれたのかは知りませんし、経緯とかそういのに興味がある人はまた自分で色々と調べてみてください。今回の話はちょっと「お客様は神様」に通ずるところがあるなぁとも思いました。普段の何気ない日常会話とかツイートでも話を面白おかしくするために、多少話を盛ったり嘘を混ぜ込んだりしてもばれない範囲であれば許されるでしょうし、それを嘘ではないか、と咎める行為は野暮なものとみなされます。一方で話した本人が嘘で何が悪い!と開き直るのはまた別の問題です。社交辞令とかでも多少の嘘は必要ですし、余命1年のがん患者にそれを告げるかどうかなど、嘘の倫理というのは非常に難しいですが、まぁ嘘と上手く付き合っていきたいですね。

 

https://twitter.com/IzanamiSakuya/status/950371618705981440

https://twitter.com/IzanamiSakuya/status/950371618705981440